時事随想

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ニュースや新聞を見て、想ったことを綴った随想・論説集

「顔識別」と「顔認証」という専門用語について

 監視カメラを使った犯人捜査に顔同定技術を利用したり、マイナンバーカードの本人認証に顔認証技術を使うなど顔認識技術の普及に伴って、顔認識技術のデジタル利用についての規制が国会でも問題になっています*1

 あまり専門でない人が用語を誤用することも目立つようになり、誤用問題が指摘されています*2

 本稿では、顔技術関連の用語について解説・整理したいと思います。

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1. バイオメトリクスにおける用語

 指紋や顔などの生体情報を使ったバイオメトリクス技術における用語からまずは確認してみましょう。バイオメトリックセキュリティ・ハンドブック*3に定義・解説があります。

1.1 国際標準化における専門用語

 国際標準化委員会(ISO/IEC JTC1/SC37 Biometrics)*4,*5のWorking Groug 1(WG1 Harmonized Biometric Vocabulary)でバイオメトリクスの標準化における専門用語を定義しています。ハンドブックでは、その英語の専門用語の一部を日本語で紹介しています(太字は筆者)。

確認(verification)

 提示されたbiometric sampleと、認証要求しているユーザのテンプレートを比較し、一致しているか否かを決定する処理。一般的には、Aさんと名乗っている人を確かにAさんであると確認することをいう。主体(ユーザやシステムなど)が自ら名乗ったとおりの者であることを証明することであり、識別や照合(検証)を行って、事前に登録している本人であることをシステムが確認することをいう。1対1照合による確認による認証と同定義として使うことが多い。ただし、1対多照合でも利用者(個人)を認証することができるので、識別までを広義に解釈する場合がある。

識別(identification)

 たくさんの人の中からAさんであると判定すること。一般に1:多照合処理をいう。提示されたbiometric sampleに対して、一つのテンプレートと比較するのではなく、データベース全体と比較すること。AFISなどのような識別システムは、類似度の高い人のリスト(candidate list)を返す。

照合(comparison)

 一つの照合データと一つの登録データと比較し、類似度または距離を計算すること。この比較処理については、パターン認識ではmatchingが使われてきたが、SD2ではcomparisonとすることが推奨されている。

1.2 ハンドブックの定義

 認証と識別を次のように定義・解説しています(ハンドブック p.260)。

認証(verification)

 提示されたユーザ名が本当にその人のものであるかどうかを確認すること。検証という場合もある。

識別(identification)

 主に法執行機関が使う利用方法である。つまり、提示されたバイオメトリックサンプルが含まれている可能性の高い包括的なサンプルデータベースが必要となる。このサンプルデータベースが多ければ多いほど、効果的な識別システムとなる。(以下略)

 認証は定義されていますが、識別は定義がされず、解説しかありません(なんだかなぁ)。

1.3 ハンドブックの評価

 このハンドブックでは、comparisonを「照合」と訳したり、verificationの訳語として「確認」「認証」を使っていたりと、読んでいる方は混乱します。

 また、国際標準化の用語は、技術標準を作るための技術のレイヤーの言葉なので、一般的に使える定義ではないです。

 バイオメトリクス分野でさえ「comparison=照合」は使われていません。「comparison」を「照合」と訳すのは誤訳と言っていいレベルです。

2. バイオメトリクスの用語体系

2.1 用語の体系化

 バイオメトリクス技術のアプリケーションレイヤーでの用語は、次のように体系化できます。

  • 認識(recognition)
    • 分類(classification):与えられたデータをカテゴリーに分ける。
    • 照合(matching)
      • 1:1照合:1つの登録データと1つの照会データを比較する。
        • 認証(authentication)、確認(verification):本人の真正性を判定する。
      • 1:N照合:1つの照会データと複数の登録データとを比較し、照会データと一致する登録データを探し出す。
        • 識別・同定(identification):登録データベースに照会し、本人を特定する。

 ここで、アプリケーションレイヤーの用語とは、応用シナリオに基づく名称で、例えば、「顔認識技術を使った本人認証」なら「顔認証」、「指紋認識技術を使った人物同定」なら「指紋識別(指紋同定)」のような感じです。但し、1:1照合、1:N照合は技術レイヤーの用語です。

 技術レイヤーとアプリケーションレイヤーの用語の意味するところは、概ね一致するのですが、例えば、IDカードを併用しない本人認証(例えば、手ぶら顔決済*6 )で使われる技術は、1:N照合して本人同定(本人識別)することで、本人認証(本人確認)します。技術は同定(識別)を用いて、応用は認証(確認)という例です。この場合、顔認証と呼んで構いません。

 また、コンピュータセキュリティでは、「認証(authentication)」の用語が多く使われ、「確認」が一般用語すぎることもあり、日本語では「顔認証」「指紋認証」の用語が使われることが多く、「顔確認」「指紋確認」は使われていません(英語ではface verification, fingerprint verificationの用語も広く使われていますので、訳語としては「認証」がよく用いられます)。

 顔情報を用いた男女識別、人種識別などは、1:1照合も、1:N照合も行わず、技術的には分類(classification)に該当しますが、顔分類という言葉は使用されません。識別(1:N照合)ではありませんが、「識別」という言葉を使うので、用語が混乱する要因になっているかもしれません。

 付録AにJ-GLOBALを用いて文献タイトルの検索を行い、用語の使用状況について調べました。概ね上記のような体系で使われていると思いますが、完全に一致するわけではありません。

2.2 顔認証と顔識別の混乱

 監視カメラからの映像を用いて、予め登録してある人物(社員)と1:N顔照合をする出勤管理に対して、「顔認証」を使っても誤用ではありません。

 しかし、監視カメラの映像を用いて、予め登録してある人物(犯人)と1:N顔照合をする犯人同定に対して、「顔認証」を使ったら誤用です。「顔識別」(あるいは「顔同定」)を使うべきです。

 基本的には、同じ技術を使っても、ユースシナリオによって、「顔認証」と「顔識別」(あるいは「顔同定」)を使い分けなければならないのですが、同じ製品や技術に対して、「顔認証」を使うことがあるので、顔認証と顔識別の用語が混乱することになります。

 本来は、上位概念の「顔照合」や「顔認識」を使うべきなのでしょう。でも、そうはなっていないことが多いので、言葉が乱れます。

 本人認証システムに対して「識別」を使うのは、一応、誤用ということになっていますが、日本語の語義からしたら個人的には微妙かと思っています。もともと「識別↔1:N照合(identification)」とすることが、不適切な対応関係と思います。まずは、「同定↔1:N照合(identification)」を普及させる必要があるのでしょう。しかし、こういう変更もまた混乱の原因になりそうです。(大変)

3. 一般用語の定義

 バイオメトリクスで用いられている専門用語の一般用語としての意味を調べてみます。

3.1 日本語の辞書定義

 先に挙げたバイオメトリクスの技術用語の一般用語としての定義をデジタル大辞泉*7で調べました(一部、省略)。

  • 認識:ある物事を知り、その本質・意義などを理解すること。
  • 分類:事物をその種類・性質・系統などに従って分けること。同類のものをまとめ、いくつかの集まりに区分すること。
  • 照合:照らし合わせて確かめること。
  • 認証:(1) 一定の行為または文書の成立・記載が正当な手続きでなされたことを公の機関が証明すること。(2) コンピューターやネットワークシステムを利用する際に必要な本人確認のこと。通常、ユーザー名やパスワードによってなされる。
  • 確認:はっきり認めること。また、そうであることをはっきりたしかめること。
  • 識別:物事の種類や性質などを見分けること。
  • 同定: 同一であると見きわめること。

3.2 辞書の訳語

 アルクの英辞郎*8から、日英、英日の訳語を見てみます。以下では、バイオメトリクス分野ではあまり使われない、不適切と思われるものは省略しています(太字はバイオメトリクス分野でよく利用されている用語)。

日本語→英語

  • 認識:cognition, recognition
  • 分類:classification
  • 照合:checking, collation, cross-check, verification, matching
  • 認証:authentication, recognition
  • 確認:authentication, confirmation, verification
  • 識別:discrimination, identification, recognition
  • 同定:identification

英語→日本語

  • recognition:識別、認識、認知、認証
  • classification:分類、区分、等級
  • matching:整合、照合、適合、一致、対応
  • authentication:認証、立証、証明、公証、データ確認
  • verification:検証、立証、実証、確認、点検、照合、認証
  • identification:同一であることの確認、識別同定、本人確認、身元確認、身分証明書

 バイオメトリクスの用語としては、識別↔discrimination、同定↔identificationと、1:1の対応になると曖昧さがなく良いと個人的には思っています。また、識別の語義からしても識別↔identificationではなく、識別↔discriminationの方が適していると思います。

  • discrimination:差別、区別、識別、判別

 ただ、英語のdiscriminationが差別の意味があるので、性別識別→gender discrimination、人種識別→ race discriminationとは訳せないのが難点なんですよね(discriminationではなく、classificationを使う)

4. 顔識別の代わりに顔同定を

 fingerprint identification の訳語としては、大昔は「指紋同定」も使われていました。「指紋識別」よりも主流だったと思います(一般使用は「指紋照合」が最もポピュラーだった)。

 「指紋同定」が使われていたのは、もともとの語義もありますが、犯人同定にも由来するのではないかと推測しています。初期の fingerprint identification の応用は、犯罪捜査でしたので、当時の専門家としては「識別」よりも「同定」だったのでしょう。

 「指紋同定」が廃れてしまったのも、犯人同定を連想させ、ネガティブな印象があったからかもしれません。

 昔のパターン認識では identification (1:N照合)の用途が少なく、パターン認識分野では「同定」という言葉があまり使われていなかったと思います。パターン認識の分野の専門家が指紋照合の分野に関わる中で「同定」が「識別」に置き換わった可能性も考えられます。

 今は、犯人同定などを目的に1:N顔照合が使われるのが社会問題になっていることを考えると、「同定」の言葉を復活させ、「顔識別」を「顔同定」と呼ぶようにした方が良いのかもしれません。

 例えば、「顔認識による人物同定(顔同定)」という書き方を普及させて、「顔同定」という言葉の定着を図るとか。

 しかし、既に定着してしまった用語の置き換えは、非常に困難かもしれません。

(2021.9.25)

付録A:J-GLOBALを用いた用語シェア調査

A.1 「同定」「識別」の用語のシェア

 「顔同定」、「顔識別」、「指紋同定」、「指紋識別」の4つの用語について、J-GLOBALの文献検索*9を用いて、文献タイトルの検索を行いました。外国語文献の日本語タイトルは機械翻訳によるものと思われるため、日本語文献のみの方が良いのですが、検索条件の付け方が分かりませんでした。

 J-GLOBALの文献は、「文献」、「タイトルに関連する用語」で絞り込み、最後は目視で日本語文献のみをピックアップしました(見落としがあるかもしれません)。

 以下に示す検索結果の件数は、 (日本語文献/文献タイトルで限定/文献全体/全体)です。

  • "顔同定"(+"同定"):8/131/317/322(8件はすべて同一研究室の発表)
  • "顔識別"(+"顔識別"):48/121/382/584
  • "指紋同定"(+"指紋同定"):8/111/327/333
  • "指紋識別(+"指紋識別"):11/72/287/426

 まとめると、日本語文献における「同定」「識別」のシェアは、以下の表となります。

指紋
同定8 (14%)8 (42%)
識別48 (86%)11(58%)
表A1. 「同定」と「識別」のシェア。


 登録されている論文数が異常に少ないですが、顔同定と顔識別では14%:86%と同定のシェアは小さいです。「顔同定」を使っている8件の論文は、同じ研究室からの発表で昔から指紋照合の研究を行っていた研究室です。指紋はそれに比べると、「同定」のシェアは大きく、指紋同定42%:指紋識別58%となります。

 なお、authenticationであるにも関わらず「識別」を用いている例や identification であるにも関わらず「認証」を用いている例などがありましたが、他の用例を含めて、文献内容を確認したデータ補正は行っていません。

A.2 顔認識技術の用語のシェア

 顔認識技術の用語のシェアをJ-GLOBALを使って同様に調べました。

A.2.1 日本語による検索結果

  • "顔認識"(+"顔認識"):?/7286/13292/14642
  • "顔分類"(+"分類"):1/67/229/253
  • "顔照合"(+"照合"):50/65/102/385
  • "顔認証"(+"顔認証"):?/607/1740/2767
  • "顔確認":0/2/2/5
  • "顔識別"(+"顔識別"):48/121/382/584
  • "顔同定"(+"同定"):8/131/317/322

 顔認識・顔認証も日本語文献だけを抜き出したかったのですが、数が多いため諦めました。しかし、日本語文献だけでも顔認識・顔認証が非常に多いことは確かです。

 日本語タイトルの文献数は、顔認証(多数)>顔照合(50件)>顔識別(48件)>顔同定(8件)>顔分類(1件)>顔確認(0件)です。(顔認識も多いですが、顔認証よりも多いかは不明)

 機械翻訳を含む日本語タイトルの文献数は、顔認識(7286件)>顔認証(607件)>顔同定(131件)>顔識別(121件)>顔分類(67件)>顔照合(65件)>顔確認(2件)です。

 日本語ではほとんど使用されない「顔同定」が多いのは、face identificationの英語タイトルを「顔同定」と機械翻訳している例が多いためです。

 また、研究発表の多さ以外で「顔認証」が多くなる要因としては、次の点があります。

  • 1:1照合のみならず、1:N照合に対しても顔認証の言葉が使われること
  • 機械翻訳でface recognitionを顔認証と訳すことがあること

A.2.2 英語による検索結果

  • "face recognition" (+"face"+"recognition"):0/477/12792/12994
  • "face classification" (+"face"+"classification"):0/5/337/348
  • "face matching" (+"face"+"matching"):0/4/375/389
  • "face authentication"(+"face"+"authentication"):0/8/736/749
  • "face verification" (+"face"+"verification") :0/7/582/584
  • "face identification" (+"face"+"identification"):0/26/651/683
  • "face discrimination" (+"face"+"dicrimination"):0/4/109/109/122

 タイトル絞り込み後の文献数の順位は、face recognition(477件)>face identification(26件)>face authentication(8件)>face verification(7件)>face classification(5件)>face matching(4件)、face discrimination(4件)で、圧倒的にface recognitionの用語が多く、頻繁に使われる言葉となっています。研究内容が、顔照合・顔認証・顔同定などではない、あるいは、これらの応用に限られないために汎用的な用語であるface recognitionという言葉を使っているためでしょう。日本語の「認識」以上に "recognition" の選好があるのかもしれません。

 なお、face discriminationの4件中3件は、日本人著者による英語文献でした。

A.2.3 日本は「顔認証」を好んで使う

 主な用語について、文献数を表にまとめました。日本語の文献数は、外国語文献タイトルの機械翻訳による文献数も含みます。

認識照合1:1照合1:N照合
英語face recognition
(477件)
face matching
(4件)
face authentication(8件)
+face verification(7件)
(計15件)
face identification
(26件)
日本語顔認識
(7286件)
顔照合
(65件)
顔認証(607件)
+顔確認(2件)
(計609件)
顔同定(131件)
+顔識別(121件)
(計252件)
表A2. 顔関連の文献数。


 機械翻訳や研究動向の影響もあるとは思いますが、その影響を除いても、日本では、(1:1照合のみならず、1:N照合を表す言葉としても)「顔認証」を好んで使っているようです。

関連ツイート

・Hiromitsu Takagiさんのツイート(2021.5.13)

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