時事随想

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安倍総理のメルマガ訴訟、菅元総理に「完全勝利」?〜荻上チキが判決文を読む(文字起こし)

原発デマメール問題を荻上チキが解説

原発に関する安倍さんのメルマガ問題。裁判で安倍さんが勝利したから、安倍さんは嘘を流していない、というような主張が、未だになされています。

このメルマガ訴訟の問題について、最高裁判決が出たのを機に、荻上チキさんがラジオで語っています。

以下、その放送内容の文字起こしです(女性アナウンサーの音声は省略、太文字は筆者)。

荻上チキ Session 22(2017.3.1放送)

つい先日、ある裁判の最高裁の判決が出たんですね。その裁判とは一体何のかと言うと、菅直人元総理が、安倍首相、いま首相ですけども、菅直人さんが首相だったときには野党の人だったんですね。菅さんが安倍さんを訴えたという裁判がずっとこの間行われていまして、その最高裁の判決がつい先日出たということになるんですね。

それは、結論から言うと、上告を棄却する、ということになるので、高裁の判決そのままですよ、とそういった結論になったんですけども、結構、大きな出来事ではないですか。総理経験者が二人が法廷で争うというのは、現職の総理と元総理という恰好になるわけですよね。

その裁判で、実際何が争われていたのかというと、安倍晋三さんが当時議員だったときに、2011月の5月の段階で「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題したメールマガジンを配信したんですね。

そのメールマガジンの中では、「東電がマニュアル通り、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、やっと始まった海水注入を止めたのは、なんと菅総理その人だったのです」と書いているんですよ。「官邸はあたかも菅首相が英断をした」というふうに言っているんだけども、それはでっち上げだ、てなことを書いてるんですね。

それに対して菅直人元総理が、名誉棄損であると、ということで訴えた。

「自分は海水を止めていない、止めるなど指示していない」というようなことで、これは事実と反するし、自分の名誉が傷つけられたということで、裁判になったわけなんです。

地裁・高裁・最高裁ときて、最高裁は、高裁の判決のままですよ、となったので、結論から先に言うと、名誉棄損に当たらない、ということで、この告訴に関しては棄却されたということになるわけですね。告訴が行われたのは確かなんだけど、今回は、名誉棄損に当たらないと判断が下されたということになるわけです。

それを受けて、安倍さん、それから菅さん、それぞれが、ツイッターやフェイスブック上で今回の裁判についてコメントを出しているという状況なんですね。

実際、どんなことが裁判で争われたか気になると思うんですけど、安倍さんは、今回の判決を受けて、フェイスブックで、真実の勝利、最終判断が下りました、と書いたんですよ。要は、自分の主張が認められた、これは真実の勝利なんだ、ってなことを主張しているんですね。

私は総理として、一部の時間を裁判に割かざるを得なくなった、ということで、時間がとられたことを不服に思って書いていて、菅総理の今回の裁判というのは、私を貶めることを目的とした菅元総理の告訴というのは売名行為であって、猛省を求めるというふうに、フェイスブックに書いているということになるわけです。

実際に気になったので、地裁と高裁の実際の判決の文章を入手したんですけども、それぞれ読んで、それぞれがどういった主張をしているのかなということを確認したんですね。

この中で結構重要なのは、もともとのメールマガジンを読んだ人の中には、安倍さんが本当に海水注入のストップを指示して、実際に海水注入が、ああ、菅さんが注入を指示して、注入を止めることを指示して、実際止まったんだという印象を持っている人もいるかもしれないですけれども、その点については、今回の争いの中では、相当に答えが出ているわけですね。

実際には、菅直人さんが海水注入を止めろというふうに指示を出したという事実はないということが前提として書かれている、というような状況の中で、その事実はないんですけど、じゃあ、今回のメールマガジンは名誉棄損にあたるのか、ということと、メルマガに書かれている他のことを含めて、トータルで真実性があるかどうかということが、今回の裁判の中で問われているわけですね。

もともと、この裁判の中で菅さんに訴えられた安倍さんは、今回は、原告が中断を指示したという事実ではなくて、原告の言動に起因して海水注入が中断されたという事実を適示したんだ、というふうな論法の立て方をしていたんですね。

なおかつ、名誉棄損だという訴え方に対しては、既にテレビによって同じような内容のことが報じられているので、本件によって、原告の社会的評価が低下したとは言えない、というふうな指摘をしていた、であるとか、それから、今回の出来事が起こった際には、非常に大変な事故があったときですよね。

重大事故があったときで、こういった中で、政権を厳しく監視するには、野党の追及というのはすごく大事だと。そうした中で1から100までの裏どりをしてからの指摘というのは事実上無理であるというふうな主張を安倍さん側はしているわけです。

このメルマガというのは、そういった状況で発信されたんだというようなことを指摘していると同時に、これは高裁でも指摘してきしているんですけど、安倍さん側は内閣総理大臣の言動に対する批判的言論が事後的にでも名誉棄損として違法となるのであれば、民主主義の根幹でたる表現活動が委縮する、というふうにも主張しているんですね。

要は、今回の裁判では、実際に菅さんが海水注入を止めさせたという証拠を自分は持っているという形で安倍さんは戦っていないんですよ。

そうではなくて、実際に菅さんの行動に起因して、海水注入が止められそうになったっていうようなことを論評したということと、実際に当時官邸で発表したことと、後で検証されたことの事実とが違うじゃないか、っていうこととそれが争われた。

名誉棄損に関しては、僕がいう前にテレビとかも指摘していたから、それによって評価が下がるとは言えないよね、であるとか、あるいは、今回、メールマガジンで配信されたわけですけども、そのメールマガジンというのは、サイトにアクセスをして、バックナンバーのページにアクセスをするという手間がかかる。だから、公然と事実を指摘しているところまでは言えない、そういった論評になっているわけですね。

それに対して、菅さんの側は、いや、このメールマガジンを読めば、あたかも自分が海水の注入を止めろと指示して、実際に止まったかのように捉えてはいるでしょ、と戦ったわけです。

だだ、今回の判決においては、名誉が棄損されたのは確かではあるんだけれども、判決のその内容を読むと、実際に菅さんの振る舞いの中に、言動とかの中にですね、海水注入を止めたというふうに解釈されるような言動というのがあったと。実際には、止めったっていう事実は、ないんだけれども、止めたというふうに論評される海水注入を中断させかねない振る舞いがあったというふうにできたので、重要な部分にあって真実であったと認められるという判決が書かれているということになるわけですね。

実際は、海水注入は吉田所長の判断で止めてないんですよね。また、菅さんも止めろとは言っていない。

そうではなくて、東京電力の武黒フェローという方が菅さんが海水を注入することを再臨界しないのか、ということを聞いて、そうしたような問いがだされたことによって、まだ、官邸の中で意思決定がされていない、ということを判断して、それで、武黒フェローが現場に電話するときに、官邸がいろいろ言っているんだ、っていう仕方で海水注入について、考慮したという恰好になっていて、菅さんが止めろと連絡して、それを間に誰かが入ったという恰好にはなっていない。

ただ、菅さんが再臨界の可能性があるのかというようなことを議題に上げて、そうした議題に挙がっているということを踏まえて、武黒フェローが電話して、っていう流れになっていて、だから、最初に再臨界を論点化することによって、止めかねない、止めるというふうに解釈されかねない動きがあった。

だから、結果として、安倍さんのこういった論評というのは、表現の範囲内といいますか、重要な部分で真実なんだ。

だから、止めたというふうに言ったときに、直接止めたっていうふうな捉え方もされると思うんですけども、ただ、「止めた」という表現で、今言ったような、止めかねないような動きを菅さんがしていて、実際、そうした電話があって、実際、海水注入は止められていないけれども、そうしたことを踏まえて、でっち上げなんだとか、止めたのは菅さんだと表現することは、それなりの真実相当性があるっていう形で論評されている、論評じゃなくて判決の中で判断されているという恰好になるわけですね。

ここで注意しなくてはいけないのは、こういうふうに名誉棄損の裁判が進んでいって、判決が下ったからと言って、もともとのメールマガジンに書かれていた全文が正しいというふうにお墨付きが出たということではないんですね。

名誉棄損の裁判の中では、何が名誉棄損に当たるのかということを、実際に棄損があったのかどうかということと、

それが例えば、表現として公益性があって、しかも、それを信じるに足る真実相当性があってということと裏付けしていって、争われるようなところがあるので、実際にその発言が名誉棄損でないからと言って、そのメールマガジンに書かれていること全てが正しいというようなことは、また別になっているわけですよ。

ただ、今回においては、安倍さんは、菅さんが具体的に止めたんだという形で争ってはいないんですね。

そうではなくて、そういった形で解釈されかねないような行動を論評するような仕方でこう言ったメールマガジンに野党等して当時は追及したんだというふうに言ってるわけです。

なので、あまりニュースで取り上げられないタイミングでの判決であったということもあったのと取り上げられても短めの記事だったので、この裁判の判決というのが一体どういった意味がなかなか伝わりにくいんではないかと思ったので、一つは判決文に基づいて、今、簡単にではありますけど、詳細を説明してみました。

これを見てて、いろいろ考えられるポイントとかあるんですけど、安倍さんが、今回の裁判によって、総理としての時間の一部を割かざるを得なくなってしまったではないか、とフェイスブックに書いているんですよね。

ところで、裁判の途中においては、安倍さんは、内閣総理大臣に対する表現の自由というのは、認められるべきだというふうに萎縮させるべきではないというふうにも言っていて、なおかつ、この国は当然ながら法治国家であるし、訴える自由というのは当然あるわけですよね、相手が内閣総理大臣であろうとも。

内閣総理大臣が忙しいだろうから訴えないようにしようとするなんてことは、まず、あり得ないわけなので、安倍さんがちょっとこぼした言葉の中で、今回の裁判面倒くさいなぁ、と感じるっていう気持ちは分かるかもしれないけど、何かこういった裁判のために時間を割くっていうことも、民主主義のためにそもそも必要なコストだし、民主主義という観点で今回安倍さんは、裁判の中で戦っていたわけだから、そこはそこで、受け入れなければいけない点でだよね、というふうには思いますよね。

もう一つは、今回、貶めることを目的とした売名行為だ、というような形でまとめている。あるいは、真実の勝利とすごく簡素な形でまとめたりしているので、具体的な経緯が説明されていない状況にあるわけですね。

だから、安倍さんの文章や報道だけを見て、裁判の実際の文章を見ずにいると、何がそもそも争われているのかな、ということがちょっと分かりづらくなってしまうところがあるなぁという印象を持ちました。

こういった裁判の文章は、手に入れることができたいるものでありますし、過去の地裁・高裁のときはそれなりに報じられたりしていましてね、そういった仕方で論点というものを改めて振り返ることは今でもできるので、話題として、なんとなく過去のものみたいなイメージになってしまっていますが、これからも、原発に関する問題というのは、たびたび、取り上げられる中で、どういったことがあったのかを適切な情報に基づいて議論する必要があると。

ただ、こうした中で、謝った情報に基づいて議論がなされないよう一体裁判はどういった事実が認定されて、どういったことが理由でこの判決になったのかということも、一人歩きしないように、丁寧に読み解いていく必要があるなぁと思いました。

(2018/7/26)


名誉棄損ー表現の自由をめぐる攻防

山田隆司
岩波新書(2009)

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