時事随想

時事随想

ニュースや新聞を見て、想ったことを綴った随想・論説集

【税制】給与所得控除は、一律、20万円で十分!

1. 基礎控除額の拡大と給与控除額の縮小

 政府・与党が基礎控除の増額を検討しているとの報道があった。

 要旨は、以下の通り。

  • 基礎控除を10万円~15万円引き上げる。
  • 但し、年収2300万円程度から減額し、2500万円超で控除額は0円とする。
  • 原資は、給与所得控除の減額により確保する。
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 この税制変更は、会社員・パートなどの給与所得者の給与所得控除の減額(増税)を原資に、全ての人が対象の基礎控除の増額(減税)するということになり、給与所得者全体としては、増税になる(但し、給与所得控除の減額幅と基礎控除の増額幅の調整により、低所得者では減税になるように制度設計する)。

 さて、本記事では、ここで原資となっている給与所得控除について考えてみたいと思う。

2. 過大な給与所得控除

 給与所得控除は、会社員やパートなどの給与所得者が個人で支払った、通勤費、研修費、資格取得費、図書費、衣服費等の必要経費を見做し額で控除するものである*1。給与所得額によって、控除額は異なるが、162万5000円以下の給与所得者で65万円、1000万円超で220万円である*2

 103万円の収入のうち、必要経費で65万円支払って、実質手取りが38万円というパートなどいるはずがない*3。年収1000万円で220万円もおかしな数字だ。大手企業で言えば、課長クラスは、1000万円程度の年収となると思うが、220万円も経費に使っている人は見たことがない。

 このような過大な給与所得控除は、その恩恵を受けられない個人事業主などに対して圧倒的に有利な制度である。例えば、フリーランスで働く人は、痛切に感じる不公平さではないだろうか?

3. 必要経費は確定申告すればよい 

 このような問題を適正化するために、次の税制を提案する*4

  • 給与所得者の給与所得控除は、一律とする(例えば、20万円)。
  • 給与所得者が、この控除額を超えた場合には、確定申告により、控除を申請できる。

 徴税コスト(税務署の事務負担)を考えると、見做しの給与所得控除は残しておく必要がある。20万円と例示した額は、その金額以上の経費を支払っている人があまりいないであろうという値として設けた*5。自己負担の通勤費や研修・資格取得などを行った際の費用は、この枠を超えることもあると思うが、その場合には、確定申告をすればよい。

 なお、これに併せて、青色申告の事業者における特別控除や専従者控除なども見直した方がよいかもしれない。

4. 税負担のリバランス

 給与所得控除を大幅に減額すると、実質的に大幅増税となる。この増税分を基礎控除の拡大や、所得税減税の原資として、リバランスすれば、増減税に中立にすることはできる。

 給与所得控除の大幅縮小により、どの程度の財源が得られ、どの程度、基礎控除の拡大や減税に回すことができるかは、税収の基礎データがないとシミュレーションできないが、データを持っている財務省やデータを入手可能な政府・国会議員には、是非とも検討して頂きたい(あるいは、データを公開して頂きたい)。

5. 高額所得者の基礎控除の減額

 政府・与党の検討案では、2300万円超の高額所得者に対して、基礎控除を減額する案となっている。2300万円以上の給与所得者が極わずかであることを考えれば、税収増にはほとんど寄与しない。

 高所得者に対する国民の妬み意識に対する政治的パフォーマンスに過ぎない。

 従って、税の仕組みはシンプルであるべきということを考えれば、わざわざ複雑な制度にする必要はないだろう。

5. 最後に

 現在の給与所得控除は、必要な経費とすると見なすには、異常なほど過大な額が設定されて、歪んだ税制度となっている。本来の主旨である「必要な経費」を控除するように制度を改めることが必要である。

(2017/11/27)

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*1:国税庁, 「タックスアンサー No. 1415 給与所得者の特定支出控除」.

*2:国税庁, 「タックスアンサー No.1410 給与所得控除」.

*3:103万円までの給与所得の場合、給与所得控除65万円と基礎控除38万円が控除されるため、課税対象となる所得は0となる。このため、所得税を支払う必要はない

*4:ここで提案する税制変更は、既存制度の数値パラメータの変更に過ぎないので、新しい仕組みを組み入れているわけではない。

*5:住宅ローン減税や医療費控除のため、確定申告をしている人は多いと思うが、恐らく、20万円以上の経費支出がある会社員は、それよりも少ないかと思う

日本国憲法における自衛権行使の制限

 本稿では、新しくできた無人島の領土問題を例に日本国憲法における自衛権行使の制限について考察する。

1. 国際紛争を解決するための武力行使であって、且つ、自衛のための武力行使であることはありうるか?

 「国際紛争を解決するための武力行使であって、且つ、自衛のための武力行使であることはあり得るか?」

 この命題に対する答えは、真、あり得る、である。

 以下、証明する。

 この命題が真であることを証明するためには、一例をあげれば十分である。この一例として領土問題を取り上げる。以下の領土問題のシナリオを考える。


 新しくできた無人島X※に、P国、Q国がともに領有権を主張すると仮定する。

 この領土問題は、国際紛争である。

  • ➀ P国が島Xを占拠する(Q国にとってはP国の行為は侵略行為である)。
  • ➁ Q国は、このP国の侵略に対して自衛権を行使する(武力行使q)。
  • ③ 同様に、Q国の自衛権行使は、P国にとっては侵略行為である。
  • ④ P国は、このQ国の侵略に対して、自衛権を行使する(武力行使p)。

 よって、P国、Q国は、それぞれ「国際紛争を解決する手段として」、「自衛権に基づき」、武力行使p,武力行使qをしたことになる。

 つまり、武力行使p,qは、「国際紛争を解決するための手段としての武力行使であって、且つ、自衛のための武力行使である」。

(証明終)

 さて、国際紛争解決のための武力行使の禁止と、自衛権の行使では、どちらが優先されるのであろうか?この問いについては、次節にて、検討する。

※ 新しくできる島の候補としては、例えば、南日吉海山という海底火山がある。

2.日本国憲法は、すべての自衛権行使を容認しているか?

2.1 日本国憲法における自衛権行使の制限

 自衛権は、自国対する急迫不正の侵害を排除するために、武力を持って必要な行為を行う権利である。主権を持つ領土への侵入・占拠なども、自国に対する不正侵害であるため、自衛権行使の対象となり得る。

 さて、第9条において武力行使を全面禁止している日本国憲法において、自衛権行使ができると解釈する根拠は、第13条の国民の生命、自由、幸福追求の権利(幸福追求権)が第9条の武力の全面禁止より優位と考えるからである。

 つまり、例外となる武力行使は、国民の幸福追求権を侵害された場合の自衛権行使のみであり(自衛権行使の基準S)、無人島の占拠のような主権侵害では自衛権を行使することはできない。

 先の無人島の例では、主権侵害はあるものの、無人島Xには国民が居住しておらず、国民の幸福追求権が侵害されることはないので、自衛のための武力行使はできない。武力を用いない平和的な方法で問題解決を図ることとなる。

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2.2 自衛権行使基準の相違

 P国、Q国が自衛権行使基準Sに従えば、少なくとも先に挙げた無人島の領土問題では、武力衝突が発生しない。

 しかし、実際には各国の自衛権行使基準は異なる。このため、次のようなケースが発生する。

➀ P国も、Q国も基準Sに従い、自衛権を行使すれば、武力衝突は発生しない。
➁ P国が基準Sに必ず従い、Q国は通常の基準で行使すれば、Q国は武力衝突なしに島Xを実行支配できる。
③ P国も、Q国も、自衛権を必ず行使するのであれば、武力衝突が発生する。

 日本国憲法の理念は➀である。しかし、現在では、➁を望まないために、③を選択するというように日本人の意識が変化しているのだろう。時代の変革期にきている。

 なお、領土を実効支配し、且つ、国民がその領土にいれば、国民の幸福追求権が侵害されることになるため、自衛権行使は可能となる。しかし、実効支配し、領土となった場合でも、無人島では国民の幸福追求権が侵害されるわけではないので、武力行使はできず、平和的に解決する必要がある。

3.最後に

 「(第12条を自衛権行使の根拠とした場合)日本国憲法における自衛権行使は、幸福追求権が侵害される場合に限定される」という憲法解釈は他に例はないと思うが、こういう解釈もありうるということを理解して頂けると幸いである。

(2017/11/17)

(追記)

 「日本国憲法における自衛権行使は、幸福追求権が侵害される場合に限定される」という憲法解釈の考え方は、昭和47年見解と言われる内閣法制局長官の集団的自衛権を否定する答弁書の中に現れる。このため、他の国会論議や憲法学の見解にも示されているものと推測できる。  但し、無人島に対する自衛権行使については、この答弁で取り扱っている問題ではないので、自衛権行使ができるとも、できないとも言っていない。

PDF版は、こちらから

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  • 本稿はツィッター上での議論から派生した記事である。ツィッターでの議論も参考にされたい。

【尖閣有事】小部隊駐留を想定した奪還作戦の損失

 尖閣諸島は、竹島のようなパターンで、中国が占拠し、実行支配する可能性がある。これを防ぐために尖閣諸島に小部隊を常駐させておくことが、占拠を防ぐための一つの方法であろう。

 本記事では、中国が尖閣を占拠するという尖閣有事における損失について、駐留の簡単シナリオと確率を用いてモデル化し、シナリオの与える影響について検討する。

1. 尖閣有事のシナリオ

 尖閣有事のシナリオとして、次の二つのシナリオを考える。

  • シナリオ1:日本が小部隊を駐留→中国が小部隊を排除・占拠する→日本が奪還する
  • シナリオ2:中国が占拠する→日本が奪還する

 なお、小部隊として想定しているのは、自衛隊に限らず、海上保安庁・警察などの武器使用が可能な実力組織である*1

 また、以下を仮定する。

  • 仮定1:中国の占拠作戦は、小部隊の有無に関らず、必ず成功する
  • 仮定2:日本は、中国占拠に対して、必ず奪還作戦を行う
  • 仮定3:日本の奪還作戦は、必ず成功する(奪還するまで戦う)

 それぞれの事象の発生確率を以下のように表記する。

  •  p_1:小部隊をおいたときの中国が占拠する確率
  •  p_2:小部隊をおかないときに中国が占拠する確率
  •  L_1:小部隊の排除時の日本側の損失
  •  L_2:奪還作戦による日本側の損失

 ここで、損失は、各種指標を用いて総合的に評価することが必要であるが、最も簡単な指標の一つは死傷者数であり、それを損失としてイメージしてもらうと分かりやすいだろう。

2. 小部隊設置時の紛争リスクを考慮しない場合

  • シナリオ1の損失期待値  E_1 = p_1(L_1 +L_2)
  • シナリオ2の損失期待値  E_2 = p_2L_2

 E_1 - E_2 = p_1 (L_1+L_2) - p_2L_2  = p_1L_1 + (p_1-p_2)L_2

 小部隊が駐留すると、中国は小部隊を排除することが必要となり、血を見ることを覚悟せねばならない。特に、死者が発生した場合、日中関係は極度の緊張状態となるので、中国としては占拠作戦を実施することがより困難となる。このため、 p_1 \lt p_2 と考えられる。従って、 L_1 \ll L_2 であれば、第1項は無視できるので、 E_1 \lt E_2 となる。

 つまり、シナリオ1の方が損失は小さい*2。つまり、小部隊を駐留させた方がよい。

3. 小部隊設置時の紛争リスクを考慮する場合。

 小部隊を駐留させようとすると、日中間の緊張状態が高まり、小部隊をおいたときの中国の占拠の確率 p_1が大きくなり、 p_1 \gt p_2となるだろう。

 E_1 - E_2 = p_1L_1+(p_1-p_2)L_2

 p_1\gt p_2 なので、 E_1 \gt E_2 で、シナリオ2の方が損失は小さい。つまり、小部隊を駐留させない方がよい。

4. 最後に

 このモデルから分かることは、小部隊を設置した時に紛争が発生しなければ、その後は、日本の損失は小さくなるということである。このため、小部隊の設置のみを考えれば、小部隊の設置が紛争に発展しないタイミングで小部隊を設置することが望ましいと言える(数式を用いてはいるが、得られる結果は当たり前の話である)。

 しかし、当然のことながら、小部隊の設置は日中関係を悪化させるので、大局的には日本の損失(及び中国の損失)が大きくなる。それでも、中国が尖閣占拠を行ってしまった場合の損失に比較すれば、損失は遥かに小さいだろう。

 また、小部隊は最前線で楯となる役割を担うことになるので、より危険な任務となることは言うまでもない。

 今思えば、日中関係が最悪だった安倍政権の発足当初に部隊の駐留をしておけばよかったのかもしれない。当面は、部隊を駐留させるチャンスはないと思う。

(2017/11/16)

関連記事

*1:駐留場所は、魚釣島となるだろうが、尖閣諸島は5つの島と3つの岩礁から構成されることを考慮すると、他の部分の防護も考えると、海上保安庁の巡視船を常駐するということも考えられるだろう。

*2:
 厳密には、

 E_1 = E_2 となるのは、

 p_1 L_1 + (p_1-p_2) L_2  = 0
 p_1 = p_2\frac{ L_2}{L_1+L_2}

であるので、

  •  p_1 \lt p_2\frac{L_2}{L_1+L_2}の場合に、シナリオ1の損失が小さい
  •  p_1 \gt p_2\frac{L2}{L1+L2}の場合に、シナリオ1の損失が大きい

となる。

座間連続殺人事件に垣間見るGPS情報を用いた犯罪捜査

 座間市で発生した連続殺人事件について、連日報道されています。残忍な事件の犠牲となった被害者のご冥福をお祈りいたします。

 さて、この事件でちょっと気になったことがあります。警察が被害者の身元の特定で携帯電話のGPS位置履歴を用いた点です。過去に遡ってGPS位置情報が警察に把握されるのは、気持ちわるいなぁと。

 さて、今回は、携帯電話のGPS位置情報における規制を中心に調べたので、記事にまとめます。

(追記:GPS位置情報を用いている点、過去に遡って位置を取得したとする点の本質的なところの2点に誤りがありました。携帯電話会社の位置情報管理は適切に行われていたと思われます。詳細は、末尾に記載します)

1. 警察が携帯電話のGPS位置情報を利用

 昔から、携帯電話の位置情報は犯罪捜査に利用されていたと思いますが、それは基地局を用いた測位でかなり精度が荒いものだったと思います。犯行発覚以前の過去のGPS位置情報が犯罪捜査に利用されたのは、有名事件では恐らく今回が初めてではないかと思います。

警視庁によりますと、6人のうち5人は部屋からキャッシュカードや診察券などが見つかり、2人については携帯電話のGPS機能から現場周辺で足取りが途絶えているのが確認されているということです。

 警察は携帯電話のGPS位置情報をどのようにしてどこから入手したのかという疑問がありますが、ニュース報道でははっきりしません。GPS位置情報の入手先としては、以下の可能性があります。

  • 携帯電話会社のGPS位置情報を含む通信履歴
  • AppleやGoogleなどのスマホのOSベンダ
    • 「iPhoneを探す」「端末を探す」などの機能を利用した場合
    • その他のケース*1
  • スマホアプリの利用でサーバ側に保存されたデータ
    • SNS(twitterなどに位置情報を付き投稿、位置情報付きの写真投稿など)
    • ナビゲーションアプリ
    • 通信アプリ(LINE, Skypeなど)
    • その他のGPS利用アプリ
  • スマホアプリで端末内部に保存したデータ
    • iPhoneのOS機能の一部として保存しているデータ*2
    • GPS位置情報付きの写真
    • ライフログなどのアプリを用いて保存したデータ
    • その他、GPS利用アプリ

 いろいろと入手先の可能性がありますが、過去の犯罪捜査では、携帯電話会社から提供された位置情報を用いたケースが多いようです。今回も、まずは、携帯電話会社から位置情報が提供されたと仮定して、個人情報保護の観点から検討したいと思います。

2. 携帯電話会社が位置情報を取得できる場合

 携帯電話会社の位置情報の取得は、大きく分けて本人同意のもと取得する場合と本人の同意なく取得する場合があります。本人の同意のもとの取得は、例えばドコモのイマドコサーチのようなGPS位置情報を用いたサービスを利用した場合です。また、本人の同意なく携帯電話会社が利用者の位置情報を取得できるのは、裁判所の令状に基づく場合と、緊急に救助が必要な人を捜索する場合に限られます。

 以下では、個人情報の観点から特に問題となる、本人同意がない場合の携帯電話会社のGPS位置情報の取得・犯罪捜査への利用について考えたいと思います。

 総務省告示の「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン」*3では、携帯電話会社が利用者の位置情報を取得できるケースを第35条において規定しています。 そのうち、捜査に関するものは、第35条4項の規定です。

第35条4 電気通信事業者は、捜査機関からの要請により位置情報の取得を求められた場合においては、裁判官の発付した令状に従うときに限り、当該位置情報を取得することが できる。
引用元:ガイドラインの第35条(告示297号,2017年9月14日)

 つまり、携帯電話会社は、令状がない場合には、位置情報を取得することはできません。

 携帯電話会社によって取得された情報は、裁判官の令状がある場合には、捜査機関(警察)が入手可能となります(第32条2項)。

第32条2 電気通信事業者は、利用者の同意がある場合、裁判官の発付した令状に従う場合、正当防衛又は緊急避難に該当する場合その他の違法性阻却事由がある場合を除いて は、通信履歴を他人に提供してはならない。
引用元:ガイドラインの第32条(告示297号,2017年9月14日)

 結局のところ、裁判官からの令状がない限り、携帯電話会社はGPS位置情報を取得してはならないし、捜査機関へ提供もしてはなりません。

3. GPS位置情報の記録は過去に遡れるか?

 犯罪捜査が始まってから初めて令状は発付されますので、前節で述べたガイドラインに従えば、過去のGPS位置情報は携帯電話会社では記録されておらず、捜査機関は、捜査開始以前の記録は入手できないはずです。

 しかし、今回の事件では、「足取りが途絶える」という捜査開始以前の過去の位置情報が捜査に用いられています。つまり、携帯電話会社からGPS情報を入手していると仮定した場合、携帯電話会社では、ガイドラインに従わないGPS情報の取得・保存が行われているとういことになります。

 総務省告示のガイドラインが法律の施行を補完するための規定で、法律の一部と考えられるのであれば、携帯電話会社の行為は違法行為、ガイドラインは単なる目安として発行されているのであれば、守らなくても違法行為にはならないと理解しています。筆者は、違法か否かは判断できませんが、いずれにせよ、携帯電話会社はガイドラインに従わない不適切なGPS位置情報の管理を行っていると言えます。

 但し、これは、本人同意がないケースの話であり、本人同意のもとに携帯電話会社がGPS位置情報を取得・保存している場合や、そもそも携帯電話会社以外のルートで位置情報を入手している場合であれば、携帯電話会社に不適切な管理があるとは言えません。

4. 本人通知なしにGPS情報を取得できるスマホ

 2015年以前のガイドラインでは、本人への通知なしにGPS位置情報を取得することは許されていませんでした。これでは、犯罪捜査していることを容疑者に知らせることになってしまうため、犯罪捜査には利用しにくいという問題点がありました。

 このため、2015年のガイドライン改正時に本人通知なしにGPS位置情報を取得することができるように変更しています*4

 しかし、ガイドラインの改正はあっても、対応したAndroid端末やソフト修正が必要となるようです*5。また、iPhoneでは、携帯電話会社の位置取得はできないようになっているとのことです。

 今回の事件の被害者がこのような対応端末を利用していたという仮説は、少々、疑った方が良さそうです。技術的に別の方法で携帯電話会社が端末のGPS情報を取得しているか、そもそも、警察は携帯電話会社以外のルートではなく、端末内部の解析やアプリ提供元の通信履歴などから、GPS情報を得ているのかもしれません。

5. まとめ

 座間の事件では、警察は捜査開始以前の携帯電話のGPS位置情報を用いていることが分かりました。

 GPS情報の入手ルートが明らかにされておらず、現状では、断定できませんが、仮に携帯電話会社が捜査開始以前の位置情報を収集・記録しいたと仮定すると、「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン」を逸脱する不適切な情報管理をしていたということが言えます。

(2017/11/6)

追記 (2017/11/9)

 11月9日の毎日新聞に今回の携帯電話の位置情報の捜査に関する報道がありました*6

 要点は以下の通り。

  • 「9人は8月22日~10月23日にかけて行方不明になった。家族らは翌日から1週間以内に神奈川、群馬、埼玉、福島の各県警と警視庁に行方不明者届を出していた。」
    • 事件発覚後から捜査が始まるのではなく、行方不明届後に捜査は開始されていた。
  • 「イチタンは、警察が裁判所の令状を示して通信事業者から位置情報を取得する捜査手法で、各地に点在するアンテナの半径500メートル~1キロの範囲で位置を把握できる。」
    • 行方不明届に基づき裁判所令状をとり、携帯電話会社から位置情報を入手した。
    • GPS機能に基づく測位ではなく、基地局に基づいて測位した位置情報である。
    • NHK報道の「携帯電話のGPS機能から...」という報道は、誤報と思われる。

 このことから、携帯電話会社は、総務省告示のガイドラインに違反することなく、適切に位置情報の取得・管理を行っていたと思われます。

*1:Greg Kumparak, 「これは不気味―iPhoneには過去の位置情報が逐一記録されていることが判明」,TechCrunch, 2011/4/21.

*2:iPhone Mania,「あなたの行動、実は記録されています!iPhoneの「行動履歴」の見方と削除方法」, 2016/2/25.

*3:総務省, 「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン」, 平成29年9月14日総務省告示第297号.

*4:
毎日新聞, 「<通信事業者指針>改正へ 携帯位置情報を通知なく捜査利用」, 2015/5/25.

ガイドラインの具体的な変更点は、以下の下線部分の削除です。

平成25年9月9日総務省告示第340号
第26条3 電気通信事業者は、第4条の規定にかかわらず、捜査機関からの要請により位置情報の取得を求められた場合において、当該位置情報が取得されていることを利用者が知ることができるときであって、裁判官の発付した令状に従うときに限り、当該位置情報を取得するものとする。
平成27年6月24日総務省告示第216号
第26条3 電気通信事業者は、第4条の規定にかかわらず、捜査機関からの要請により位置情報の取得を求められた場合において、裁判官の発付した令状に従うときに限り、当該 位置情報を取得するものとする。

*5:iPhone Mania, 「スマホの位置情報、警察が本人通知なしで取得可能に!」, 2016/5/17.

*6:毎日新聞, 「9人全員不明届 事件、警察捜索及ばず 携帯電話の位置情報、追跡に限界」, 2017/11/9.

【憲法改正】首相の解散権は制限すべき

 立憲民主党の枝野代表が首相の解散権の制限について述べているが*1、筆者も、行政府(首相)が制限なく立法府(衆議院)を解散できるという現状は、改善されるべきと思う。

現行憲法は、解散権の帰属を明示していない

 現行憲法では、解散権の帰属が曖昧で、明確には規定されていない*2。解散に関連する記述は、第7条と第69条にある。第69条は、不信任決議案が可決(あるいは信任決議案が否決)された場合の解散規定であり、これについては現状の解釈に異論はないだろう。しかし、第7条に基づく解散には問題がある。

 今回のような理由なき解散ができる根拠は、憲法第7条第3号に基づく。しかし、憲法第7条は、天皇の国事行為を定めるものであって、内閣の権限を規定したものではない。

 天皇の行為は、憲法第4条において国事行為のみ制限されている。この国事行為を憲法第7条は示しており、普通に読めば、第7条第3号を根拠として、内閣に衆議院の解散権があるとは言えない*3。仮に、第7条第3号を根拠に衆議院を解散できるとすれば、同様に第7条第1号を根拠に内閣は憲法改正や立法ができることになる*4

 第69条にしても「衆議院が解散されない限り」と、衆議院を「誰が解散するか」を明示していない。現状では「内閣によって衆議院が解散されない限り」と解釈しているが、解散権は衆議院に帰属するという前提で読めば、「衆議院によって衆議院が解散されない限り」と解釈することができる。

解散権の帰属先を明示した憲法改正案

 このように、現行憲法では、衆議院を解散できる条件が不明確であり、解散条件や解散権の帰属先を明確にすることが必要である。

 例えば、解散権は、➀不信任案が可決されたときに内閣に与える、➁衆議院に与える、と言ったところが妥当ではないだろうか。

➀不信任案が可決されたときに内閣に解散権を与える。

  • (現行) 第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
  • (改正) 第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院を解散しない限り、総辞職をしなければならない。     第69条2 内閣は、前項の場合を除いては、衆議院を解散することはできない。

     第69条の記述では、衆議院を誰が解散するか不明確である。改正案では、解散する主語が内閣であることから、内閣に解散権があることが分かる。第69条2項により、内閣は第1項の対抗的解散以外には解散権を持たないことを明示する。本来、7条解散が違憲であることが予め確認できていれば、第2項は不要である*5

➁衆議院に解散権を与える
 衆議院が自らを解散する権限を有さないのは不自然であり、権限が付与されて当然であるように思う。

 内閣総理大臣が辞職することができるという憲法の規定はないが、実際には辞職しているし、辞職することに異論はないだろう。しかし、憲法には内閣総理大臣が自ら辞職することに関する記述はなく、憲法上、辞職する権利があるか不明確である*6。一方、衆議院については、内閣総理大臣と同様に憲法上に規定はないにも拘わらず、自ら解散する権利はないと考えられている。衆議院の解散は、内閣の総辞職に繋がるものではあるが、衆議院が自ら国民に信を問うことができる権利は留保されるべきではないだろうか?

  • (現行) なし
  • (改正) 第X条 衆議院で解散決議案を可決した場合、衆議院を解散する。

     過半数で可決とすれば、実質的には与党が解散権を持つことなる。2/3以上とすれば、多くの場合は、解散には与野党の合意が必要となる。

 内閣への解散権の付与については議論を要するところではあるが*7、党利党略による理由なき解散や内閣の短命化の原因になっており、個人的には現状では権限を制限する必要があると考えている。なお、諸外国の状況等については、以下の記事なども参照されたい。

(2017/10/26)

第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 三 衆議院を解散すること。

第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
日本国憲法(e-Gov:法令検索)

*1:
産経ニュース, 「立民・枝野幸男代表「9条改正論議応じる。代わりに解散権制約も」, 2017/10/24.
中島岳志, 「7条解散の恣意が問題 改憲議論は具体的に」, 中日新聞, 2017/4/25.

*2:ウィキペディア, 「衆議院解散」.

*3:第7条第3項の違憲性について苫米地事件で争われたが、最高裁は統治行為論により、憲法判断を避けている。

*4:「第7条解散の問題点」, https://www.naturalright.org/.

*5:7条解散が違憲であることを何らかの形で確認しておく必要がある。最高裁が第7条解散は違憲であると判断することが最も明快であるが、そうでない場合でも、第7条解散が憲法解釈として誤りであることを国会決議等で示す必要がある。

*6:。憲法規定がなくとも有する権利か、規定されることで初めて保有できる権利かの問題である。天皇には、自ら退位する権限はない。天皇の場合と同様に、内閣には自ら辞任する権限はなく、「不信任決議されたとき」(第69条)、「内閣総理大臣が欠けたとき」(第70条)のみ内閣の辞職は限定されると解釈できなくもない。但し、第69条・第70条はともに義務規定であるので、内閣総理大臣自らの解散を禁じているというわけではない。

*7:7条解散と同様にいつでも解散できるようにするには、次の条文を加えればよいだろう。「第X条 内閣は、衆議院を解散することができる。」

【内部留保課税】二重課税=ダメ?

二重課税=ダメ?

 内部留保課税に関連し、「二重課税だからダメ」という意見*1を散見するが、本当に「二重課税=ダメ」なのだろうか。

 合理性に欠け、公平公正でない二重課税がダメなだけで、単純に「二重課税=ダメ」というわけではないと筆者は考える。

 確かに、二つの国から所得税が課せられる国際的二重課税などは二重課税がダメな典型例として分かりやすい。生命保険金における相続税と所得税の二重課税の問題も分かりにくいが、理解はできる*2

二重課税の定義として、以下の例がある。

二重課税(Double Taxation)は、「二重税」や「重複課税」とも呼ばれ、同一の課税物件(同一の納税者や取引・事実)に対して、同一または同種の租税が重複して課税されることをいいます。
二重課税とは|金融知識ガイド

 この定義であれば、所得税と住民税の所得割は、同一の課税物件である所得に課される二つの同種の税であるので、二重課税ではないだろうか?その昔、高額所得者の所得税率が75%という時代があったが、高額所得者だからと25%以上の住民税を課すことになれば、著しく理不尽な事態が発生する。まさに、二重課税の弊害である。

 しかしながら、住民税は「二重課税であるからダメ」という意見は聞いたことがない。これは、所得税と住民税は合理性がある課税体系であると認知され、受け入れられているからである。

 利益剰余金に課税する内部留保課税についても、法人税と二重課税であるという理由では、直ちにダメということは言えないだろう*3

内部留保課税は、そもそも二重課税?

 また、利益剰余金に対するフロー課税とストック課税の両方を徴収することを考えたとき、これは、二重課税となるのであろうか?ここで、利益剰余金に対するフロー課税とは、利益剰余金の増分に課す税(実質的には法人税)であり、ストック課税は利益剰余金の保有に課す税、所謂、内部留保税である。

 先に挙げた二重課税の定義を採用した場合、フロー課税とストック課税が同種と見做せば二重課税、同種と見做さなければ二重課税ではない。フロー課税とストック課税は同種の種類の課税だろうか、別種の課税だろうか?

 自動車を何台もストックする場合を考えると、ストックの増分(取得)に対しては自動車取得税が課せられる。また、ストックの保有に対しては、自動車税が課せられる。「自動車取得税と消費税は二重課税」という指摘や、「自動車税と自動車重量税は二重課税」という指摘はあるが、自動車取得税と自動車税が二重課税という指摘は聞いたことがない。フロー課税とストック課税は、別種の課税と考えられているからではなかろうか?

 同様に不動産については、フロー段階で不動産取得税、ストック段階で固定資産税が課せられる。この二つも、一般的には二重課税という指摘を受けることはない*4

 これらの例が二重課税でなく、フロー課税とストック課税は別種の課税と考えられるのであれば、内部留保課税は二重課税ではないと帰結できる。

 いずれにせよ、フロー課税とストック課税が二重課税であるか否かは実は問題ではなく、問題は課税体系の合理性であり、公平公正であるかという点であろう。

(2017/10/24)

関連記事

*1:
産経ニュース,「希望の党公約の内部留保課税は「二重課税」 麻生太郎財務相」, 2017/10/6.
週刊ダイヤモンド編集部,「小池新党「内部留保課税」を課税推進派の財務省さえ見放す理由」, DIAMOND online, 2017/10/17.

*2:
「二重課税」, ウィキペディア.
河野敏鑑, 「相続税と所得税の二重課税が与える波紋」, 2010/7/15.

*3: 例えば、国内法人は、法人税と内部留保税の両方を支払う必要があり、国内で活動する海外法人は、法人税のみでよいということが発生するのであれば、「公平性に欠く課税のため、内部留保課税はダメ」ということは理解できる。しかし、仮に国内法人だけの競争環境であれば、法人税と内部留保課税の徴収が二重課税であっても、直ちにダメとはならないのではないか。

*4:筆者は税制の専門家でないので、詳しいことは分からないが、フロー税(流通税)とストック税(資産税)の考え方については、租税論としては、いろいろ考え方があるらしい。石村耕治, 「二重課税とは何か」, 獨協法学第94号(2014年8月).

民進党のリベラル派が新党を作る必要はあるのか?

 お騒がせな小池劇場ですね。ちょっと一言を言いたくなって、久しぶりにブログを書いています。

 前原民進党では、全員一緒に小池新党・希望の党に合流しましょうと、両院議員総会で全会一致で決議しました。

 小池氏は、小池新党に全員合流するという民進党の方針を受け入れず、リベラル派を排除するとのこと。これはこれで、保守党を作るという小池氏としては当然の意思表明でしょう。

 さて、前原氏のいう通りの全員一緒での参加ができず、小池新党から排除されるメンバがでてくるというのならば、

  • 衆議院議員・公認候補は、全員、民進党を離党する。
  • 民進党を離党した上で、全員一致で小池新党に入党する。

という両院議員総会の決議は反故・リセットしてもよいのでしょう。

 さて、小池新党に参加しない・小池新党から排除される民進党議員は、新党を作るとか、無所属で立候補するというような報道がされていますが、なぜ、そのような話がでてくるか、不思議です。

 単に、民進党を離党せず、そのまま民進党で立候補すればよいのではないでしょうか?できれば、民進党をリベラル的な立場の党として、もともとの党名である民主党に戻して、リベラル派の党として再定義すればよいでしょう。

 リベラル民主党は、嘗ての社会党のような道を歩む可能性も高いですが、このまま、タカ派の保守2党で、リベラル派がいない日本となるのはいかがなものでしょうか。


(蛇足1:選挙予測)

  • 選挙としては、リベラル民主党は共産党他と選挙協力をして、保守2党(自民党・小池新党+維新)とリベラル派の三極で選挙を戦う。
  • 選挙結果は、自公で過半数確保、小池新党の大躍進(旧民進党との比較でも増加)、リベラル派はそこそこ(リベラル民主党は大幅減、共産党の増、その他は変わらず)といったような結果?
    小池新党の純増分の大部分は、自民党の議席を奪い取った形(リベラル民主党は、小さすぎるので奪い取っても大した数にならない)
  • いまのままで、リベラル派の議員が無所属で立候補すれば、比例復活がなくなるので、ごく一部を除いて落選。リベラル派は全部合わせても40議席も得られず、数パーセント(30議席ぐらい?)

(蛇足2: 選挙後の保守勢力)

  • 自公・維新・小池新党が保守。民進党の隠れ保守・ノンポリな人たちが、小池新党で保守転向するので、衆院全体としては9割超が保守となるのでしょう。
  • 公明党が保守かといわれると、ちょっと違うと思うけど、現状では自民党の補完勢力なので、保守扱いです。

(蛇足2:資金)

  • 民進党の資金は、どこに移すのが良いのでしょかね。リベラル派と小池派に分党をしてからならば、資金も素直に分割すればよいのでしょう。
  • しかし、慌てて、集団離党してしまうと、どこに所属するのやら。いまのところ、資金も持っていくようですが、小池派が離党した後で、資金を持っていくことは可能?
  • 一人残る前原氏が調整に当たるというのは、約束を守らず、民進党を実質解体し、リベラル派を排除した、前原氏を党首から解任・除名するということもありそうです。資金はそのまま民進党(リベラル派+参議院議員)にプールされるという筋書きです。

(蛇足3)

  • 蛇足2の筋書きがあるので、民進党所属で希望の党からの立候補という話があったのでしょうかね?

(蛇足4)

  • リベラル派民主党と小池派に分かれると、地方組織や連合はどうなるのやら。選挙結果を受けて、勝ち組(小池新党)につくのでしょうか。

(17/10/1)

予想は大外れし、ドタバタ劇の末、安倍大勝、小池完敗、枝野健闘となりました。結果を見てからの判断ではあるけど、立憲民主党の創設は正しかったようです。選挙後は、与党・共産党を除く勢力が4極(立民・民進・希望・無所属)となりました。立民ができない場合は3極(民進・希望・無所属)で、無所属も民進に戻る道がありましたが、立民では合流しにくい人も多い。4極がリベラル系・保守系の2極に収斂するには時間が掛かりそうです。希望の党は、小池さんがいなくなれば、無所属の保守系の人たちも多少は合流しやすくなるでしょう(どちらも、ほとんど、元民進党だし。逆に元民進党だから理念ではなく、確執のため再合流しにくいという可能性も大ですが)。

(17/10/24)

【NHK】ワンセグ携帯に受信契約の必要あり?ー水戸地裁判決ー

1. 水戸地裁の判決:「携帯」は「設置」に含まれる

ワンセグ付携帯電話についてNHKとの受信契約が必要があるかどうか、水戸地裁で新たな司法判断が下されました*1

2016年8月のさいたま地裁の判決では、受信契約の必要はないということでしたが、今回は必要ありとの判決です。

争点は、基本的には、さいたま地裁の場合と同様で、放送法64条1項の「設置」に「携帯」が含まれるか否かでした。

放送法64条1項では、「協会の放送を受信できる受信設備を設置した者」はNHKと受信契約することを義務付けていますが、「携帯」もこの「設置」に該当するか否かということです。

さいたま地裁の判決では「設置」には「携帯」は含まれないとして、受信契約の必要性はないとの判断でしたが、水戸地裁では、「携帯」の概念も含まれるという解釈で、受信契約の必要はあるという判決でした。

判決理由で河田泰常裁判長は64条の「設置」は「放送を受信することのできる受信設備を使用できる状態におくことをいう」と指摘。「一般的にいう『携帯』の概念をも包含すると解するのが相当」として、男性の主張を退けた。(日経新聞)

2. 判決のポイント

ワンセグ裁判については、さいたま地裁判決の際に記事にまとめましたが、この中で逆転敗訴の可能性について言及しました。

 今回の判決はNHK敗訴でしたが、判決文を読む限りでは、今後のワンセグ裁判で、NHK勝訴となる可能性もありそうです。

 争点となりそうなポイントは、法解釈の安定性です。

●一般的な法解釈として、「設置」の概念に、「携帯」を含むと解釈できること。
●放送法のH21/H22改正で「携帯」の用語が導入されたが、それ以前の放送法64条に基づく放送受信規約では、長年、携帯用受信機も含まれ、ポータブルテレビの時代から契約対象と解釈されていたこと。
●総務大臣及び総務省も、携帯用受信機(ポータブルテレビ・ワンセグ携帯)を受信契約の対象と解釈してきたこと。

 法解釈は安定的であるべきという観点からすれば、H21/H22改正で、放送法2条14号に「携帯」の用語が導入されても、従来通り放送法64条の「設置」の概念には「携帯」が含まれると解釈すべき、という考えもあると思います。
引用:【NHK】ワンセグ携帯で受信契約は必要か?-ワンセグ受信料裁判- - 時事随想

 判決文は手元にありませんが、立花氏の動画*2を見る限りでは、以下のポイントで判決がなされているようです。

  • 「設置」に「移動体」なども含まれる法律もあり、「設置」に「携帯」が含まれるか否かは、一般用語として判断すべきではなく、法律の成立経緯や主旨などを考慮して判断されるべきである。
  • 昭和25年(1950年)放送法制定当時に既に携帯ラジオが存在していたが、「設置」の用語が使われていること。
    放送法の「設置」は戦前の無線電信法に使われている「施設」の置き換えであるが、無線電信法では携帯無線機についても「施設」として取り扱っているため、「設置」には「携帯」の概念が含まれると考えられる。また、放送法制定時の参議院における質疑からも携帯機器を含むことは明らかである。
  • H21/H22の法改正で「携帯」の用語が導入されたが、第64条1項の「設置」については議論されておらず、「設置」が「携帯」を含んだ概念のまま継続していると考えられる。
     (筆者注:H21/H22年法改正で「携帯」の用語が導入された第2条14号は、所謂マルチメディア放送のための条項。マルチメディア放送としては、NOTTVが有名。)

 個人的な感想としては、さいたま地裁の判決よりは、水戸地裁の判決の方が論理的に整合性が取れているように思います。さいたま地裁の判決は、H21/H22の法改正(第2条14号)で「携帯」の用語が導入され、「携帯」と「設置」が区別されたので、(自動的に)第64条1項の「設置」の概念から「携帯」の概念がなくなるという解釈かと思いますが、少し無理があるようです。

3. 今後

 ワンセグ裁判は、これ以外にもいくつもあるようですが、今回の水戸地裁判決がスタンダードな判決になるのではないかと予想しています。

 ワンセグ携帯のテレビは、携帯電話のオマケ機能です。テレビ視聴が目的の地デジ放送と同じ料金体系というのは、納得感がありません(そもそも、NHKを見ない人には、地デジだろうがワンセグだろうがそもそも納得感はありませんが)。放送法の改正でワンセグ携帯の取扱いを明示する、NHK放送受信規約で安い受信料を設定する、ラジオと同様に受信契約免除とするなど、ワンセグ携帯のようなオマケテレビに対する対策は必要ではないでしょうか。

 現行のNHK受信規約が世帯という概念で受信契約が規定されています。テレビや端末を複数所有したり、世帯の在り方も変わっているので、契約単位は世帯単位から視聴端末単位の契約に変更する必要があると思っています。そうすれば、携帯端末単位の課金やB-CASカード単位の課金が可能となります。携帯電話の場合は、NHK受信機能をONにした場合には、受信料を電話料金と一緒に徴収するという仕組みにすれば、変で怖い人たちと顔を合わせなくて済みます(笑)。
 全世帯の契約について一斉に変更することは難しいと思いますが、端末単位の課金は、ワンセグ携帯には導入しやすい制度でしょう。

関連記事

(2017/6/14)

【NHK】ネット同時配信で受信料はどうなるの?

1. NHKのネット同時配信に関する各社報道

 12月26日開催の総務省「第14回放送を巡る諸課題に関する検討会」を受けて、NHKのネット同時配信について新聞各紙で報道されています。

 議事要旨・配布資料が現時点ではアップロードされていないので、詳細は不明ですが、今回の検討会は、民放キー局からのヒアリングで、12月13日のNHKと民放連・新聞協会に引き続くものです。新聞報道の概要をまとめると、以下の通りです。

  • 放送法は、NHKがネットで番組を24時間配信する「常時の同時配信」を認めておらず、実施には法改正が必要(読売)
  • イタリアの事例、テレビ設置の申告制・罰則導入案(産経)
  • ネット視聴の場合の受信料(産経)
  • 民放は批判的な意見(朝日, 読売, 時事) (民放各社の意見は付録参照)

 NHKは、東京オリンピックに向けて2019年までに同時配信を常時化したい意向ですが、民放各社は慎重というか、積極的には進めたくないといった印象です。

  • 注:ネット配信するのは、サービス開始時点では地上波のみ。衛星放送はスポーツ中継が多く放送権の確保等が必要なため、現時点では実施できる環境にはない(12月13日の有識者会議のNHK資料)。

2. ネット配信で受信料はどうなるの?

 一般の視聴者として気になるのは、産経ニュースが報じているように受信料のことですね。以下では、有識者会議の過去の資料に基づいて説明したいと思います。

2.1 受信料の義務化はどうなる?

 産経ニュースが報道しているイタリア公共放送の事例は、テレビ設置状況を申告制にして、申告なき場合にはテレビ設置ありと見なし、電力料金と合わせて受信料を徴収するというものです。また、申告に虚偽があった場合には罰則を科します。詳細については、既に12月13日の検討会で資料が提出されていますので、引用します。

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出典:NHK, 「放送を巡る諸課題に関する検討会議(第13回) ヒアリングご説明資料資料」, 資料13-2, 2016/12/13.


 この資料を見る限りでは、産経ニュースの「NHKが提示した案」というほどの具体性はなく、海外事例紹介の位置づけに留まります。但し、NHKとしては、現状の「受信契約の義務」よりも強い拘束力で受信料支払の義務化をするように法改正をして欲しいという要望を持っています。

 引越したら、NHKの受信料支払から逃れられるということが昔はあったそうですが、資料の13ページを見ると、今は、住民票を取り寄せて、新住所を追跡しているようです。

2.2 スマホ・パソコンの所持で受信料支払の義務はある?

 今のところ、NHKとしてはスマホ・パソコンを持っているだけで、受信料を取るということは考えていないようです(資料の8ページ)。

  • (a)「「適切な負担」については、NHKのテレビ放送の常時同時配信を実際に「視聴しうる環境」を作った人に負担をお願いするのが適当と考える」
  • (b)「単にパソコン・スマートフォン等のネット接続機器を持っているだけで負担をお願いする、ということは考えていない」
  • (c)「テレビを持ち、すでに受信契約を結んでいただいている世帯の構成員には、追加負担なしで常時同時配信をご利用いただくのが妥当と考える」

(a)については、検討会の質疑応答で、NHKは以下のように説明しています。

Q. 「視聴環境を作った人」というのはどういう意味か?
A. パソコンやスマホなどのネット接続機器を持っているだけであり、放送受信のためにもっているわけではないような方にまで負担を求めることは想定していないという意味である。どのような技術的手段をとるのかは検討していないが、ネット上でのなんらかの手続を経た方にのみ負担いただくことを考えている。
出典:放送を巡る諸課題に関する検討会(第13回)議事要旨, 2016/12/13.

2.3 同時配信コストをどうやって調達する?

 まず、(a)のネット配信利用者が負担するという条件を除いて考えると、以下のような資金調達になるでしょう。

 (c)のように追加負担(受信料の値上げ)がないとすれば、増収、つまり、受信契約の増加がないと、ランニングコストの年間数十億円~100億円(資料の9ページ)が支払えないということになります。年間100億円の費用回収が必要とすれば、現状の受信料が月1,260円として逆算すると、約66万件の新規受信契約が必要となります。

  • 必要な新規受信契約 = 100億円÷(1,260円×12) = 約66万件

 2015年度から2017年度までの経営計画によれば、年間61万件の契約数の増加を計画しているので、達成できそうな数値です。また、衛星契約は2,230円程度なので、66万件よりも少ない新規契約でも大丈夫そうです。

2.4 同時配信には、受信料支払義務の強化が必須

 しかし、(a)のネット配信利用者の負担と(c)の追加負担なし(値上げなし)を同時に成り立たせるとなると話は変わってきます。

 (a)によれば、「視聴しうる環境」を作った場合(ネット利用申請した場合)、同時配信コストを負担するため、ネット利用しない人との受信料の差額(ネット利用料)が発生します。一方、(c)によれば、既契約者では追加負担なしでネット利用できるとのことです。従って、ネット利用しないのであれば、既契約者であったとしてもネット利用料を支払う必要はないので、ネット利用料分の受信料を値下げする必要があります。

 つまり、ネット利用者は現状の受信料、ネットを利用しない人には、受信料を値下げしなければなりません。この値下げのための原資には、以下に示すように受信契約を増やす必要があります。

 ネット利用料で同時配信のコスト(100億円)を賄うので、

  • ネット利用料 = 100億円/ネット利用者数

となります。例えば、1000万件のネット契約で年1,000円(月額約83円)の利用料となります。ネット利用料分だけ既契約者の受信料値下げをするとなると、既存契約を約4000万世帯として年1,000円の値下げに必要な原資は400億円、新規契約数換算で260万件の新規契約が必要となります。

 月額83円ならば、とりあえず契約しておくといった世帯も多いと思いますが、約1000万世帯のネット契約が必要で、厳しい目標ではないかと思います。月額166円で500万世帯のネット契約であれば、達成できそうな数字ですが、今度は月額166円の値下げ原資(新規契約換算で520万件)が必要となります。

 受信料の義務化を強化し、現状の契約率80%を契約率90%強に増加すれば、520万件の新規契約は達成できるので、値下げ原資の確保もできます。このため、(a)と(c)を両立させるためには、支払義務の強化が必須と考えられます。

  • 注1:上記の計算には、世帯数や同時配信コスト等が推定値であることの他に、計算モデルにも近似が入っていますので、あくまで概算です。
  • 注2:既存の契約者を全てネット利用者にできれば、前節で説明した66万件程度の新規契約で済みます。(c)を深読みすると、「(利用しないことを申請をしなければ)既存の契約者はすべてネット利用者と見なす」という意味なのかもしれません。

3. まとめ

 有識者会議の現状の議論から分かることは、以下の通りです。

  • NHKは2019年までに常時同時配信を実施したい。そのため、放送法の改正が必要。
  • 同時配信は、NHK受信契約者のみにサービスするのであって、パソコン・スマホを持っているだけで課金するわけではない。
  • ネット配信に掛かる費用は新規契約の増加によって賄うと思われる。
    • NHKの主張通りに、ネット利用者に配信コストを負担させつつ、既存の受信契約者に追加負担をさせないためには、大幅な新規契約が必要で、受信料支払の義務化が必須。

 NHKはリオオリンピックでも同時配信を試験的に行っていますが*1、東京オリンピックの際には、常時化して実運用したいということです。オリンピックまでに実現するか否かは微妙なところで、法改正・システム開発等の問題からリオに引き続き東京でも試験的な位置づけになると個人的には思っています。

(2016/12/27)

付録:民放各社の意見

 報道されている12月26日の有識者会議での民放のコメントは以下の通りです。

  • 多額の投資が必要な配信システム作りのためNHKと民放が共同で進めるべき。
  • ネット配信で広告収入増は見通せない。
  • 民業圧迫。
  • 民放連(木村信哉専務理事)
    • 「NHKは独占的な受信料収入で運営されており、民放への目配りは欠かせない。NHKが業務拡大を続けることにならないようにしなければならない」
  • 日本テレビ(石沢顕常務執行役員)
    • 「強固な財務基盤のNHKに対し、民放はコストを最小限に抑える必要がある」
  • テレビ朝日(藤ノ木正哉専務)
    • 「多額のコストを回収するビジネスモデルに見通しが立たない」
    • 「ローカル局には視聴率の低下などの影響がでるのでは」
  • フジテレビ(大多亮常務)
    • 「テレビの将来のため(同時配信に)チャレンジしなければ(と考えている)」
    • 「民放は受信料を使えるNHKのように赤字を垂れ流せない」
    • 「(配信の)プラットフォーム構築をNHKと民放が一緒にやっていくべきだ」
    • 「ニーズがあるのかという意見もある」
    • 「NHKが先行してルールを決めることを危惧している」
  • テレビ東京
    • 「事業的に成り立つほどニーズがあると判断していない」


働き方に中立な税制・社会保障制度の改革 (8) 税額シミュレータ

 配偶者控除の適用範囲の拡大が自民党・公明党の2017年度与党税制改正大綱*1にて決定しました。内容は表1となっています。また、2016年度の配偶者控除・配偶者特別控除を表2にまとめます。

 複雑なので、税額シミュレータを作ってみました。


■■■ 税額シミュレーション(2017) ■■■

夫の給与所得  社会保険料  その他の控除
妻の給与所得  社会保険料  その他の控除
単位(円)

A. 給与
0円
0円
B. 所得額 (=A-給与所得控除)
0円
0円
C. 配偶者控除額
0円
0円
D. 配偶者控除後の所得額 (=B-C)
0円
0円
E. 基礎・社保料控除後の所得額 (=D-(基礎+社保料))
0円
0円
F. 課税対象所得額 (=E-その他の控除,千円未満切捨)
0円
0円
G. 課税額 (=F×税率)
0円
0円

※:所得額Bは、給与所得控除額(2017)の計算式で算出しているため、所得税法の給与額控除後の金額表の正式値と若干異なる。
※:配偶者控除は、夫・妻のうち、給与額が高い方から控除する。
※:基礎控除額は、38万円。
※:税率は、国税庁のホームページを参照。

表1. 配偶者控除・配偶者特別控除の早見表(2017年度与党税制改正大綱版)。
世帯主の合計所得(給与所得)
900万円以下
(~1120万円)
900万円超950万円以下
(1120万円~1170万円)
950万円超1000万円以下
(1170万円~1220万円)
配偶者の
合計所得
(給与所得)
38万円以下
(~103万円以下)
382613
38万円超85万円以下
(103万円~150万円以下)
382613
85万円超90万円以下
(150万円~155万円以下)
362412
90万円超95万円以下
(155万円~160万円以下)
312111
95万円超100万円以下
(160万円~166.8万円未満)
26189
100万円超105万円以下
(166.8万円~175.2万円未満)
21147
105万円超110万円以下
(175.2万円~183.2万円未満)
16116
110万円超115万円以下
(183.2万円~190.4万円未満)
118 4
115万円超120万円以下
(190.4万円~197.2万円未満)
6 4 2
120万円超123万円以下
(197.2万円~201.6万円未満)
3 2 1
123万円超
(201.6万円~)
0 0 0
出典:与党税制改正大綱(2017), 年末調整等のための給与所得控除後の給与等の金額の表(所得税法,2016), 給与所得控除額(2017)より作成。世帯主の給与所得は2017改正(給与所得控除の上限額が230万円から220万円)を反映。


表2. 配偶者控除・配偶者特別控除の早見表(2016年度)。
配偶者の合計所得 (給与所得) 控除額
38万円以下 (~103万円以下) 38万円
38万円以上40万円未満(103万円~105万円未満)38万円
40万円以上45万円未満(105万円~110万円未満)36万円
45万円以上50万円未満(110万円~115万円未満)31万円
50万円以上55万円未満(115万円~120万円未満)26万円
55万円以上60万円未満(120万円~125万円未満)21万円
60万円以上65万円未満(125万円~130万円未満)16万円
65万円以上70万円未満(130万円~135万円未満)11万円
70万円以上75万円未満(135万円~140万円未満)6万円
75万円以上76万円未満(140万円~141万円未満)3万円
76万円以上 (141万円~) 0円
出典:国税庁ホームページ(配偶者控除, 配偶者特別控除)


もう少し改良して、2016年度との差を計算しようと思います。

(2016/12/11) 

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働き方に中立な税制・社会保障制度の改革 (7) 私案-給付付き移転的税額基礎控除

 今回は、給付付き税額控除と移転的基礎控除による税制改革についての私案を提案したいと思います。

6. 二重控除問題の解消による働き方に中立な税制

6.1 二重控除とは

 所得税における人的控除には、基礎控除、配偶者控除・配偶者特別控除、扶養控除、勤労学生控除、寡婦控除、寡夫控除、障害者控除などいろいろありますが、配偶者関連では次の三種類の控除がありますが、そのうち、次の2つの控除が非常に類似した控除の概念です。

  • 基礎控除:所得額に対して一律に適用できる控除。38万円。
  • 配偶者控除・扶養控除:配偶者・被扶養者の所得の合計所得金額(給与所得-65万円)に基礎控除を適用したときに0円以下となる場合(課税対象額がない場合)、世帯主所得に適用できる控除。38万円。
  • 配偶者特別控除:配偶者所得が課税対象となった後でも一定金額までなら、世帯主所得に適用できる控除。最大38万円。

 二重控除問題は、配偶者控除の制度の不完全さから発生します。図3.4(a)は配偶者の所得が増えたときの現行制度での世帯主所得に対する控除額、配偶者所得に対する控除額、世帯主と配偶者の控除額の合計を示しています。世帯主所得に対する控除額ばかりに目が行きがちですが、配偶者所得についても、所得額が0円以上(給与所得で65万円以上)で基礎控除が発生しています。世帯主所得に対する控除と配偶者所得に対する控除を合計すると、図6.1(a)の一番したに示すように、配偶者所得0円~76万円(給与所得65万円~141万円)で、二人分の基礎控除額の78万円分を超える部分がでてきます。この部分が控除の二重取りと言われる部分です。給与所得65万円~141万円のときにだけ、控除二重取りの優遇を与える制度となっています。

 選択肢B-1案では、配偶者控除に対する考え方により、例えば、次のような呼び方が考えられます。

 (1) 配偶者控除(38万円)
 (2) 扶養控除(38万円)
 (3) 基礎控除(38万円)

 (1)は従来の名称を継承する呼び名です。(2)は扶養控除も移転的控除の対象とし、所得制限も配偶者控除と同一とすることで、配偶者控除と扶養控除を統一した制度にし、その名称を扶養控除にする場合です。(3)は、(2)の移転的控除において、それぞれ各人が持つ控除を基礎的な人的控除と考えて、基礎控除と呼ぶ場合です。通常、移転的控除では、人的控除を基礎控除と考え、移転的基礎控除と呼ぶことが多いようです。

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図6.1 配偶者控除・配偶者特別控除における二重控除。

 (a)は現行制度、(b)は移転的基礎控除。(a)の二重控除に該当する部分は、配偶者の税率5%が適用されるため、最大で1.9万円と必ずしも税の負担軽減効果が高いわけではない。(b)は移転的基礎控除により、二重控除を行った場合であるが、税の負担軽減効果は、65万円から増加するため、現行制度から(b)の移転的基礎控除に移行した場合、65万円~141万円で増税となる。

6.2 移転的基礎控除による二重控除の解消(案B-1)

 二重控除を解消する方法としては、例えば、移転的基礎控除という控除を導入することで実現できます *1 *2。この制度では、図6.1(b)に示すように、配偶者控除・扶養者控除をなくして、世帯主・配偶者・扶養者に一律に38万円の基礎控除を与え、本人所得で控除できなかった基礎控除額を世帯主に移動できるようにする制度です。この場合の所得税の軽減額を図6.2に示します。所得控除では、所得が多いほど軽減効果が大きいため、配偶者の基礎控除が所得の低い配偶者、つまり、税の軽減効果が低い配偶者に移動するため、基礎控除による税の税負担額は減少します(支払う税金額は増加します)。これは、政府税調の今年9月15日の委員会で財務省が提示した選択肢B-1案です。

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図6.2. 移転的基礎控除を適用した場合の税負担の軽減額。

資料 *3 を参考に作成。政府税調の今年9月15日の委員会で、財務省が示した選択肢B-1案に相当する。配偶者特別控除(最大38万円)を廃止し、配偶者の基礎控除を非課税額の増加に伴い、税率の低い配偶者に移転するため、最大7.6万円の増税となる。

6.3 配偶者控除の拡大と移転的控除による二重控除の解消(案B-1')

 前節で述べた二重控除の解消方法(財務省が示した選択肢B-1案)では、配偶者控除(38万円)・配偶者特別控除(最大38万円)を廃止し、配偶者の基礎控除(38万円)を設け移転的控除を行うために、最大7.6万円の増税となります。

 これに対して、配偶者特別控除(最大38万円)を廃止し、配偶者控除の対象となる給与収入を103万円から141万円に拡大し、移転的控除を併用すれば、増税なしで二重控除の解消が可能です(以下、選択肢B-1'案という)。この移動は、配偶者の給与所得控除額の最低額を65万円から103万円に引き上げることで実現可能です(給与控除の下限は65万円に設定されているが、これを配偶者のみ103万円に引き上げる)。

 しかし、手取り額で考えると、図6.4に示すように給与控除の最低額を103万円にした場合、給与控除の拡大に伴う減税効果によって、従来基準の給与控除額が103万円となる額面給与約283万円までは、現行制度と比べて減税となります。給与控除の最低額を84万円に設定すると、給与85万~136万円までは増税、136万円~220万円で減税となります。

 配偶者の給与控除の額を引き上げることは、非配偶者・非給与所得者との格差を拡大するため、長期的には配偶者に特別な給与控除体系は適正化していくことが必要です。

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図6.3 配偶者控除の拡大と移転的控除を併用し、二重控除を解消した場合。


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図6.4 二重控除解消時の税額。

配偶者の課税額と世帯主の移転分控除の減額に伴う税の増額の和を表示。世帯主の課税率は20%。現行制度(赤)に比べて給与控除を従来通り65万円とした場合(紫)では、増税となるが、給与控除を引き上げることで、増税幅は減少し、103万円としたところで、すべて減税となる。

6.4 税額控除と移転的基礎控除を併用する場合(案B-2)

6.4.1 所得控除の問題点

 所得税では、所得に対して累進税率を適用しています。つまり、高所得な世帯ほど税負担が大きいものとなっています。この制度に所得控除を適用した場合、高所得な世帯ほど、控除による税の負担を軽減できます。

 前節の図6.3に示す所得控除の例では、配偶者収入65万円(あるいは、103万円)までは、世帯全体で15.2万円の税の控除はありますが、それ以降は、9.5万円まで低下します。同じ15.2万円の税控除を受けるためには、(世帯主と同じ税率である)税率20%となる給与水準まで、配偶者の所得を上げる必要があります(筆者の推計では、約585万円の給与収入が必要)。

 また、世帯主の収入の観点からみると、表6.1に示すように、税率が高い高収入な世帯ほど、配偶者収入に対する減額幅が大きく、最大で34.2万円の負担軽減となっていますが、配偶者の労働に伴い、負担軽減額は19.2万まで低減することになり、15.2万円の増税効果となって表れます。世帯主収入が655万円以下(財務省推計*4 )の課税率5%の場合では増税効果が表れないのに比べると、高所得者ほど労働意欲を削ぐ税制となっていることが分かります。

 図6.5は配偶者控除の適用率を表しています。この図に示すように、高収入になるほど配偶者控除を利用する割合が高くなっています。これは、高所得者ではそもそも配偶者は働かなくても構わないのに加えて、税制上も高収入なほど働くことを抑制する制度となっている影響も考えられます。

 逆に、低収入な世帯では、共働きにならざるを得ないため、年収600万円台以下で8割以上が配偶者控除の恩恵に浴することはできません。

表6.1 所得控除で38万円の配偶者控除を行った場合の税負担の軽減額。(単位は万円)
世帯主の適用税率 5% 10% 20% 23% 33% 40% 45%
世帯の税控除額 (配偶者収入103万円) 5.79.5 17.119.3826.9 32.336.1
世帯の税控除額 (配偶者収入141~約380万円)3.85.7 9.5 10.6414.4417.119.0

(世帯の税控除額(配偶者収入103万円)     = 38万円×2×(世帯主税率)+38万円×(配偶者税率:5%)
(世帯の税控除額(配偶者収入141~約380万円) = 38万円×1×(世帯主税率)+38万円×(配偶者税率:5%)

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図6.5 給与収入に対する配偶者控除適用率。

出典:財務省, 「税制調査会(基礎小委②)[所得税関係]」, 税制調査会 第2回基礎問題小委員会, 2014/5/23.
 図では、所得税率等の記載を追加。税率は、資料(財務省, 「財務省説明資料(所得税1)」, 第2回税制調査会, pp.49, 2016/9/15.)に基づき作成。

6.4.2 税額控除制度

 人的な基礎控除を導入する場合の考えとして、最低限の生活水準を保障するという観点からすれば、支払対象となる税金から控除する制度、つまり、税額控除という制度が馴染みます。最低限に必要な生活費から税金を差し引くことはしないということです。

 また、所得税控除による配偶者では、配偶者収入が多くなるほど、増税効果(税負担額軽減が低減する)が表れますが、税額控除の場合には、そのようなこともなくなり、働き方に中立な税制と言えます。

 このため、人的な基礎控除に対しては、所得控除ではなく、税額控除を適用し、さらに移転的基礎控除を用いることで、世帯としての一定の税負担の軽減を行う制度が移転的基礎控除です。この制度は、既にカナダ・デンマーク・アイスランドなど諸外国で導入されています。

 基礎控除額を一定にした場合、図6.6の上段に示すように支払う税金に直接一定額を減じることになるので、現行制度のような配偶者収入が低いときに控除額が減少することはありません。これは、政府税調が示した選択肢B-2案に相当するものです。

 図3.9の下段に基礎控除額を一人当たり7.6万円とした場合の税額控除を従来の所得控除に換算した控除額を示します。配偶者が低所得であるほど、所得控除が大きいという結果になりますが、これは適用税率が低いために、7.6万円となるために必要な控除額が多くなるためです。一方、高所得・高税率となるほど、控除額が低くなります。

 最大で152万円という控除額は、一見高額に見えますが、児童手当の給付額は、年額18万円(0~3才の場合、一人当たり月額1.5万円の給付)となるので*5の給付は、所得控除で換算で360万円の控除。さらに、住宅ローン減税の場合は、最大50万円の税額控除であるので*6、税率5%の場合で1000万円相当の所得控除に相当します。但し、住宅ローン減税は、税額控除で高額な控除額となっているので、実際に控除枠全部を使えるのは、少なくとも約463万円以上の所得がある場合だけです。住宅ローン減税については、5,000万円の住宅ローンを組める富裕層をそもそも税制で優遇する必要があるのかという疑問はあります。

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図6.6 定額の税額控除。

 他の扶養者控除等は、世帯主で控除することを想定。配偶者の税率は、給与所得控除と社会保険料(厚生年金・健康保険)のみを控除。社会保険料は、協会けんぽのデータを用いて40才未満で算出している。

6.4.3 最低賃金に基づいて基礎控除額の決めた場合

 生活保障の観点からすると、最低賃金と生活保護費が、基礎控除額を決めるための基準の一つとなりそうです。生活保護費も最低賃金もともに、最低限の生活を保障するためのものですが、勤労者を前提とするのであれば、最低賃金の方が基準としては適切と思われます。また、生活保護は支給条件や支給額が不規則であるため、取り扱いにくいということもあります。

 ここでは、最低賃金に基づいた基礎控除額について検討したいと思います。最低賃金には地域差がありますが、2016年度の全国平均額は、823円となっています*7。これに、法定労働時間の週40時間*8で1年間(52週)働いたとすると、年間で次の給与収入が得られます。

  • (最低賃金年収) = 40×52×823=171.18万円

基礎控除額を「最低賃金年収で課税額0となる金額」と定めると、次の金額が得られます(但し、社会保険料を考慮せず)。

  • (基礎控除額) = ( (最低賃金年収)-(給与控除) )×(最低税率)
           = (171.18万円-68.4万円)×5%
           = 5.14万円

 夫婦二人の基礎控除額は合計10.28万円となります。年収103万円で扶養控除を適用した場合、現行制度では、表3.7(b)に示すように税率10%までは減税、税率20%以上で増税となります。また、配偶者控除がなくなる141万円以上の配偶者所得の場合は、税率20%以下で減税、税率23%でほぼ同じ、税率33%以上の高収入世帯で増税となります。また、表には示していませんが、単身世帯の場合、税率10%以下で減税、税率20%以上で増税となります。

 ここで示したように最低賃金に基づき基礎控除額を決めた場合でも、現行制度から極端に異なる税額とはならないことが分かります。全体として、増税となるか、減税となるかは、不明ですが、恐らく、減税となるのではないかと思います。その場合には、給与控除を減額(適性化)することで、税源を確保するということも一案でしょう。給与控除額の調整は、配偶者控除を考慮せず、課税税率が最低賃金と同じ最低税率(5割以上の世帯)ならば、次式に示すように影響を受けません。

  • 税額 = ( (給与収入)-(給与控除) )×(適用税率)-( (最低賃金年収)-(給与控除) )×(最低税率)
       = ( (給与収入)-(最低賃金年収) )×(最低税率)

 実際には給与控除額は、必要経費として使うことはなくほぼ全額生活費に回せるという意味では、給与控除額を65万円から0円に減額して、3.4万円(=68.4-65)を必要経費とし、基礎控除額を計算するという考えもあります。

  • (基礎控除額) = (171.18-3.4)×5% = 8.39万円

 基礎控除額を上げると、一見減税になるように見えますが、給与控除額を減額した場合の増税効果が強く影響し、最低税率の場合を除き、前述の基礎控除額に比べて増税となります。表3.7(c)に試算結果をまとめました。給与控除額を一律に65万円削減した場合には、現行制度と比べて、低所得世帯を除き、ほとんどの税率区分で増税となります。但し、低所得世帯は、世帯数で言えば、半数を超えるので、その意味では過半数の世帯は減税となります。また、給与所得者ではない場合には、そもそも給与控除がないので、基礎控除の増額は減税に直結します。

 給与控除額を一律65万円減額する場合、給与控除額の減額による増税効果が大きく影響し、全体としては、増税になるのではないかと推測します。従って、給与所得控除額の増減によって、増税と減税を調整できるので、給与所得控除額をパラメータとして、全体で増減税のバランスをとることが可能となると考えられます。

表6.2 最低賃金から試算した基礎控除額に基づく増減税額。
(太字は現行制度と比べて減税となる場合)
世帯主の税率 5% 10% 20% 23% 33% 40% 45%
(a) 現行制度
 世帯の税控除額A (配偶者:給与103万円) 5.7 9.5 17.1 19.38 26.9 32.3 36.1
 世帯の税控除額B (配偶者;給与141万円以上) 3.8 5.7 9.5 10.64 14.44 17.1 19.0
(b) 最低賃金から試算した基礎控除額
  (給与控除額は現行のまま)
5.14
 世帯の税控除額C(=5.13×2) 10.2810.2810.28 10.28 10.28 10.28 10.28
 増減税額 (=C-A) (配偶者:給与103万円) 4.58 0.78 -6.82 -9.1 -16.62-22.02-25.82
 増減税額 (=C-B)(配偶者:給与141万円以上) 6.48 4.58 0.78 -0.36 -4.16 -6.82 -8.72
(c) 最低賃金から試算した基礎控除額
  (給与控除額を一律65万円削減)
8.39
 世帯の税控除額D (=8.39×2) 16.7816.7816.78 16.7816.7816.7816.78
 給与控除減による増税額P (世帯主分) 3.25 6.5 13.0 14.95 21.45 26.0 29.25
 給与控除減による増税額Q (配偶者分) 3.25 3.25 3.25 3.25 3.25 3.25 3.25
 E=世帯控除額D-(増税額P)-(増税額Q) 10.287.03 0.53 -1.42 -7.92 -12.47-15.72
 増減税額 (E-A) (配偶者:給与103万円) 4.58 -2.47-16.57-20.8 -34.82-44.77-51.82
 増減税額 (E-B) (配偶者:給与141万円以上) 6.48 1.33 -8.97 -12.06-22.36-29.57-34.72

※増減税額が正の場合は減税、負の場合は増税。
※給与控除減額による世帯主の課税税率の上昇については考慮していない。
※配偶者給与141万円以上は、141万円以上~税率5%の上限額(約380万円)まで。

6.5 給付付き税額控除と移転的基礎控除を併用する場合(案D)

6.5.1 給付付き税額控除とは

 給付付き税額控除は、最低限の生活保障という観点から、さらに保障を厚くする方法で、税額控除できなかった税額を納税者に給付するという制度です。例えば、無収入の場合には、基礎控除額全額を給付するというのが最も単純な方法となります。夫婦世帯の場合でも、最も単純な場合であれば、基本的に同じ仕組みなので、ここでは単身の場合について説明します。

 図6.7に給付付き税額控除のイメージ図を示します。ここでは、控除額bは一定額としています。税額yは、課税対象所得xと税率aを用いて、次式で決まります。

  税額  y=ax-b

 ここで、yが負となった場合、給付なしの税額控除であれば、y=0として税の支払がなくなり、非課税となります。

 給付付き税額控除では、納税者は、負の値(y)を納税する、つまり、正の値-yの給付を受けます。

 所得が0であれば、税額控除額bの全額の給付を受けることができます。働かずとも、給付金を貰えることになるため、資産制限を掛けるなどの措置が必要となると考えられるため、制度設計が単純ではなくなります。

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図6.7 給付付き税額控除。
税率はaで一定と仮定する(低収入の場合のみ影響するので、横軸の所得範囲は最低税率の範囲で、a=5%とします)。

6.5.2 最低賃金に基づいた給付付き税額控除の理論的導出

 以下では、最低賃金から導きだした、税額給付付き税額控除の制度について説明します。

 前節では、基礎控除額bを最低賃金Xから設定する方法を示しました。前節の検討では給与所得のみを控除対象としましたが、今回は、最低賃金年収に社会保険料などその他の控除も行った後の「最低賃金所得」に基づき検討したいと思います。(健康で文化的な最低限度の生活を営むために必要な最低賃金に基づく)理想的最低賃金年収X' (但し、X>Xとする)を考えると、理想的基礎控除額b'を以下のように定義します。

  理想的基礎控除額 b' = RX'    基礎控除額を理想的基礎控除額b'で設定した場合、税率aは最低税率Rとして、最低賃金年収Xにおける課税額yは、次式に示すように負の値となります。

  課税額 y = RX-b' = RX-(RX') = R(X-X')<0

 つまり、理想的最低賃金年収が最低賃金年収よりも大きい場合には、課税額は負の値となってしまいます。これは、実際に支払われる最低賃金が、本来あるべき理想的最低賃金よりも低いために発生します。給付の根拠を、「理想的最低賃金から設定された控除益を最低賃金で働く労働者にも付与する」と考えれば、分かりやすいのではないかと思います。

 この論理によれば、賃金が理想的最低賃金に達すれば、給付・課税が0となるように設定します。例えば、図6.8に示すように、賃金0から逓増するように控除額を設定するという制度が導かれます。所得が増えるにつれ徐々に給付額が増え、最低賃金となった場合に給付額が最大となり、理想的最低賃金に達したときに給付はなくなります。

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図6.8 理想的最低賃金に基づく給付付き税額控除。


 この論理によれば、法定の最低賃金Xが理想的な最低賃金X'以上となったとき、給付の根拠を失います。現在は、法定の最低賃金は理想的最低賃金に達していないのではないかと思いますので、給付付き税額控除は妥当であると考えられます。

 但し、この方法でも給付における条件を考える必要があるかもしれません。例えば、得られた賃金が最低賃金で一年間働いた場合と1日で最低賃金年収を稼いで後は悠々自適と暮らしてた場合の二つを同列に扱ってよいかという問題があります。同列に扱ってよいとすれば、話は簡単なのですが、これを区別しようとすると、賃金の内訳、つまり、時給単価と労働時間等に着目した制限を加える必要があります。

 低収入時において、控除額が徐々に増加するという枠組みの税額控除制度は、例えば、米国の勤労税額控除に見られます*9

 なお、これ以外の部分でさらに給付を加える場合は、この根拠とは別の政策的視点(例えば、児童控除、消費税負担軽減のための控除など)による根拠が必要です。

7. 最後に

 配偶者の「壁」や社会保障制度・税制について調べた結果をまとめ、問題を解決するための私案について検討しました。また、調べた範囲では良く分からなかった税額控除における控除額の基準設定や給付付き税額控除の理論的根拠について考察しました。筆者の結論としては、税制に関しては、最低賃金に基づいた給付付き税額控除の制度が、働き方に中立的な税制度として最も妥当な制度となるのではなかと思います。

 いろいろと調べていたら、結構、長い記事になってしまいましたが、また、いろいろと勉強になりました。

 調べた上で思うことは、今回、政府・与党で検討されている配偶者控除の適用範囲を拡大するという税制変更は、働き方に中立な制度から離れる税制改悪であり、改めて選挙対策の単なる減税としか感じられませんでした。

 このような政策ができてしまう背景には、政府・与党・野党など、税制度を検討するためのシステムそのものに問題があるのではないかと思います。各党は税制に関しては政策立案能力がなく、それを補完する外部組織とも連携していないようです。また、政府税調における議論は、事務方(財務省など)が作成した資料に「有識者」がコメントを付けるだけで、その場からは具体的・抜本的な税制改革は生まれる可能性は低いのではないかと思います。少なくとも「働き方に中立的な税制度」に関しては、政府税調のような場では、一つの案に絞るという政策的判断はできないのではないかと思います(逆に政治が介入し政策的判断を行えば、税制度として仕上げていくことはできるのかもしれません)。現状では、政府税調でそれまで行ってきた議論は無駄で、最終的には、与党が決めた方針を追認する機関に成り下がるのでしょう。

 税制度については、実行可能な具体的な制度案をいくつも出してきて、米国大統領選の予備選のように、振り落とし、さらに改良を加えていくというプロセスがあればよいのではないかと思いますが、過ぎた望みですかね。

(2016/12/8)

働き方に中立な税制・社会保障制度の改革 (6) 私案-その他の壁の撤廃

5. その他の「壁」の撤廃など

5.1 配偶者特別控除による「103万円の壁」の撤廃

 配偶者においては、既に配偶者特別控除によって、壁は事実上なくなっています*1。配偶者特別控除によって設定された5万円単位の段差に伴い、僅かな壁が残っているだけです。扶養者側の年収500万円で所得税率を20%とすれば、この壁の高さは、5万円×20%=10,000円と少額です。この差をなくすのであれば、段差をより細かくすることで、壁をなくすことができます。例えば、1万円単位に設定すれば、2000円の段差、1000円単位であれば200円、100円単位であれば20円、10円単位であれば2円です。最終的には1円単位にすれば、段差は完全になくなり、給与額面増に応じて、課税後の所得も増え、103万円の壁は完全になくなります。

 図5.1では、以下の計算式で配偶者特別控除額を設定した場合の現行制度と段差を完全に無くした場合を比較しました。年収100万円から145万円までの配偶者給与と、配偶者控除益を含む手取り給与(課税後の給与に配偶者控除を適用して得られる利益の和)の関係を示しています。世帯主側の所得税率は、5%、20%、33%の場合です。この図からも分かるように、現行では存在している僅かな段差も完全に消失させることができます。

(控除額)= 38万円          (~103万円)
     = 141万円 - (給与所得)   (103万円~141万円)
     = 0円           (141万円~)

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図5.1 配偶者特別控除の段差をなくすことで、103万円の壁は完全に除去される。


 この図からも分かるように、所得税率33%、つまり、世帯主給与水準が大きいほど、控除による減税効果は大きいので、段差は16,500円と多少ありますが、夫も妻も共に低所得者の場合には、ほとんど控除の恩恵を受けないので、現行制度で存在する段差も2,500円と非常に低くなっています。

 この例では、全て増税になるように段差をなくしていますが、計算式を少し修正することで、全体としては増減税なしとすることは容易に可能です。

 政府・与党が提案する103万円を150万円に引き上げる施策は、対象となる約300万世帯を単に減税し、1120万円以上の約100世帯に増税するというもので、「103万円の壁」の撤廃とは無関係です*2。もともと税制による「130万円壁」はほとんど存在せず、残るは多少の段差だけですが、これも、計算方法の微修正で容易になくすことができます。

5.2 配偶者手当による「10?万円の壁」

 配偶者手当による「10?万円の壁」は、事業主が支給している配偶者手当によって発生しています。配偶者手当の基準額が103万円となっていることが多いため「103万円の壁」となる場合が多いですが、130万円であったり、140万円であったりといろいろあります。この壁の撤廃については、事業主へお願いするしかなく、1.1.2節で述べたように政府が行っているように経済団体等を介して、要請するしかないのかもしれません。

 なお、厚生労働省では、「配偶者手当の在り方の検討」と題し、配偶者手当の廃止の際の手引き等を示しています。

 働く意欲のあるすべての人がその能力を十分に発揮できる社会の形成が必要となっている中、パートタイム労働で働く配偶者の就業調整につながる配偶者手当(配偶者の収入要件がある配偶者手当)については、配偶者の働き方に中立的な制度となるよう見直しを進める事が望まれています。
 「女性の活躍促進に向けた配偶者手当の在り方に関する検討会」を平成27年12月に設置し、平成28年3月にかけて3回開催し取りまとめた報告書や、見直しを行う場合の留意点をまとめた資料等を紹介しています。
出典:厚生労働省, 「配偶者手当の在り方の検討」.

5.3 給与所得控除の適性化による壁の移動

 ここでは、「103万円の壁」一挙に「58万円の壁」に移動する方法について示します。それは、給与所得控除額を下げることです。

 不公平な税として特に目につくのは、給与所得控除です。あり得ない数字が必要経費として控除されます。個人事業者など真面目に納税している場合に比較すると、異常な優遇制度です。

表5.1 給与所得控除。
給与収入 給与所得控除額 控除額の範囲
180万円以下 収入金額×40%
(65万円に満たない場合には65万円)
65万円~72万円
180万円~360万円 収入金額×30%+18万円 72万円~126万円
360万円~660万円 収入金額×20%+54万円 126万円~186万円
660万円~1,000万円 収入金額×20%+54万円 186万円~220万円
1,000万円~1,200万円収入金額×20%+54万円 220万円~230万円
1,200万円~ 230万円(上限) 230万

出典:国税庁, 「No. 1410 給与所得控除」.

 給与所得者に認めている、あり得ない必要経費を適正化することを考えましょう。いろいろなケースがあると思いますが、実際に必要経費と計上できそうなものを、ざっと挙げてみます。

  • 給与所得者の特定支出控除に挙げられた項目
    • 通勤費、転居費、研修費、資格取得費、帰宅旅費、図書費、衣服費、交際費等
  • 通勤のための自動車代(税務署がOKするか不明)
    • 自動車代、ガソリン代、高速料金など
  • 在宅勤務での必要経費
    • パソコン代、電気代、電話代、フロア代、空調設備費
  • 電話代
  • 文具代

 交通費は会社持ちで、パート・アルバイトをやっているのであれば、経費が年間10万円も行くとは思えません。また、サラリーマンでも、ほとんどのケースで20万円以内で収まるのではないかと思います。あるとしたら、実際には必要経費とは認められないような交際費などを積み上げて脱税するといった場合でしょうか。いくらの金額が給与所得控除として適当かは議論があるかと思いますが、例えば、給与収入額によらず、例えば、一律20万円でいいのではないかと思います。必要経費が20万円を超える場合には、確定申告を行って調整すればよいでしょう。

 同時に、家事労働者等の必要経費の特例で認めている65万円の必要経費なども、同様に20万円に減額します。

 給与所得控除(見なし必要経費)を現状の65万円から20万円に減額すると、103万円の壁は、58万円の壁と大幅に移動します。それとともに、増税となります。 給与103万円で110.6万円の収入から、100.75万円の収入になるので、9.85万円の増税です。また、世帯主も、500万円の場合で26.8万円の増税で36.65万円の大増税となります。全体としては数兆円の大幅増税になるのではないかと思います。

 大増税によって得られる税収を減税に回すのか、育児・介護に回すのか等は、いろいろ議論の余地はあるでしょうね。

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図5.2 給与控除を20万円にした場合。

配偶者控除なしは、給与所得控除65万円の場合。給与収入96万円以上は、配偶者特別控除も適用されないため、二重控除は解消される。配偶者控除から外れる給与範囲では所得税率は5%なので、給与所得控除45万円の減額の影響は、45万円×5%=2.25万円の増税にとどまる。赤線は、現行制度(給与控除65万円)で配偶者控除が適用できない場合。

(2016/12/8)

働き方に中立な税制・社会保障制度の改革 (5) 私案-見える化による健保の壁の撤廃

 本章からは、働き方に中立な税制改革と社会保障制度の抜本改革についての私案を提案したいと思います。まず、本章では、社会保険料による壁の撤廃を「見える化」によって撤廃する方法について述べます。

4.3 健康保険による「130万円の壁」

 健康保険についても、年金と同様に「見える化」によって壁を少なくすることができます。但し、健康保険や国民健康保険の保険料は、事業主・地方自治体で様々なので、その点を考慮して「見える化」していく必要があります。

4.3.1 健康保険・国民健康保険の制度の違い

 健康保険や国民健康保険の場合、健康保険組合や自治体の違いによって保険料制度が異なるために、保険料が統一されていません。また、会社の健康保険等と国民健康保険では、次の点が大きく異なります。

  • 健康保険の場合には、扶養者数によらず、被保険者の標準報酬月額で保険料が決まり、国民健康保険では、加入者の人数とその収入の総額によって決まります。

 健康保険も、国民健康保険も、同じ制度・同じ保険料率に一元化するように制度を再設計すれば、その際に、扶養者から外れる際の障壁をなくすような仕組みを導入することは(誰が得する・損するということを言わなければ)容易です。抜本な改革としては、そういうところまで踏み込むべきでしょうが、とりあえず、ここでは、その過渡的な段階として、扶養の適否によって生じるギャップを縮小する方法と残るギャップを縮小するための健保組合間の格差を縮小する方法について検討します。

 健康保険も、国民健康保険とのギャップが生じない程度に、被保険者の扶養する人数に応じた保険料設定を行うことで、年金と同様に「130万円の壁」を低くすることができます。健康保険・国民健康保険に関しては、受益者負担の観点もありますが、共助の観点もあり、扶養者に対する負担額(国民健康保険の「均等割」)をどの程度に設定するかなど議論の余地が大いにあるでしょう。

4.3.2 国民健康保険の保険料

   国民健康保険は各自自体毎、健康保険は健康保険組合毎で保険料が設定されている点も問題を複雑にしています。国民健康保険の保険料は、所得と表3.1に示す料率に基づき決められます。

表4.1 健康保険料の保険料率。
所得割(%)均等割(円/人)平等割(円) 資産割(%)
医療給付分 a1 a2 a3 a4
後期高齢者支援分 b1 b2 b3 b4
介護納付金分 c1 c2 c3 c4

 所得は給与所得130万円のみ、固定資産税0円、加入者1名の場合の計算方法を示します。

  • 医療給付分 = (総所得額等-基礎控除)×所得割
        = ( (給与所得(130万円)-給与所得控除(65万円) )-基礎控除(33万円) )×a1
         +加入者数(1名)×a2+a3+固定資産税(0円)×a4
        =32万円×a1+a2+a3

同様に、後期高齢者支援分、介護給付分も計算できます。

  • 後期高齢者支援分 = 32万円×b1+b2+b3
  • 介護納付金分   = 32万円×c1+c2+c3

 介護納金分は40才以上64才までの方が対象となります。資産割は、多くの自治体ではありませんが、資産割がある自治体もないわけではありません(筆者が住む自治体でも資産割があります)。所得割、均等割、平等割の金額の設定の仕方はまちまちです。同じ保険料になる場合でも、均等割や平等割が高いと低所得者に不利、平等割が高いと単身者に不利、資産割が高いと資産家に不利な税制となります。

 まずは、国民健康保険に130万円の給与収入で加入した場合の保険料を保険料が高いところ、低いところ、それ以外の適当なところについて調べてみました。表3.2にその結果を示します。

表4.2 自治体による健康保険料の違い。
小鹿野町瑞穂町町田市横浜市世田谷区長野市鳥取市広島市嬉野市
40才未満3,501 3,987 5,487 5,475 6,218 6,2707,5538,235 9,965
40才以上4,368 5,483 6,926 7,300 7,848 8,0609,41610,08811,840
※1カ月当たりの保険料(円)。40歳以上は、介護分を含む。小鹿野町には、別途資産割4.2%あり。


 資産割がある小鹿野町(埼玉県)を除いても、瑞穂町(東京都)と嬉野市(佐賀県)では2倍以上の差があります。それぞれの健康保険料率の内訳をみると、以下のようになります。

表4.3 瑞穂町と嬉野市の健康保険料率の違い。(→の前が瑞穂町、後が嬉野市)
医療給付分 所得割(%) 均等割(円/人年) 平等割(円/年)
医療給付分 4.86%→10.50% 22,000→26,100 0→38,600
後期高齢者支援分1.31%→2.4% 6,100→5,400 0→8,200
介護納付金分 1.55%→2.5% 13,000→9,400 0→5,100

 嬉野市の所得割と平等割の高さ、瑞穂町の安さが、保険料の大きな差となって表れているようです。瑞穂町は、病気をしないのか(老人・子供などが少ない)、住民の給与水準が高いのでしょうか、それとも横田基地がある影響でしょうか、いずれにせよ、全国的に見ても保険料が特に安いです。

・小鹿野町:「小鹿野町国民健康保険料税条例」, 2005/10/1.
・瑞穂町 :瑞穂町, 「国民健康保険税」, 2016.
・町田市 :国民健康保険税の税率等/町田市ホームページ
・横浜市 :横浜市, 「平成28年度横浜市国民健康保険料試算ページ」,2016/5/25
・世田谷区:世田谷区, 「保険料の計算方法」, 2016/4/1.
・長野市 :国民健康保険料の計算 - 長野市ホームページ
・鳥取市 :鳥取市公式ウェブサイト:平成28年度国民健康保険料について
・広島市 :広島市 - 保険料の賦課額・計算方法
・嬉野市 :嬉野市|国民健康保険

4.3.3 健康保険の保険料

 健康保険の保険料は、報酬月額に基づき決まります。500万円の給与収入があったときの保険料を保険組合毎に比較してみます。ボーナスなしで、月額500万円/12=41.6万円(27等級)であった場合の保険料(事業主負担額を含む総額)は、以下の通りです。

表4.4 健康保険における健康保険料。
日テレ南部銀テレ朝文科省神奈川県市町村職員パナソニック東京都職員 日本郵政大阪府市町村職員協会けんぽ道府県職員
健康保険料率(%)5.4 6.4 8 8.094 8.651 9 9.011259.58 10.32 9.96 12.046
介護保険料率(%)0.6 1.16 0.96 0.996 1.16 1.37 1.328 1.158 1.12 1.58 1.106
従業員負担率(%)40 32.8 37.5 50 49.705 39 50 50 50 50 50
40才以下 22,14026,24032,80033,18535,469 36,900 36,946 39,278 42,312 40,836 49,389
40才以上 24,60030,99636,73637,26940,225 42,517 42.390 44,024 46,904 47,314 58,458

*従業員負担率は健康保険料の負担率。介護保険の従業員負担率は50%。
・日テレ:日本テレビ放送網健康保険組合, 「保険料月額表」, 2016/3
・南部銀:南部銀行健康保険組合, 「標準報酬月額と保険料一覧表」, 2016/4.
・テレ朝:テレビ朝日健康保険組合, 「テレビ朝日健康保険組合保険料額」, 2016/4.
・文科省:文部科学省共済組合本部, 「平成28年度共済組合負担金率等について」, 2016/3/2.
・神奈川県市町村:神奈川県市町村共済組合, 「掛金(保険料)と負担金」.
・パナソニック:パナソニック健康保険組合, 「保険料について-標準報酬保険料月額表」, 2016/11現在.
・東京都 :東京都職員共済組合, 「財源率について」, 2015/4/1.
・日本郵政:日本郵政共済組合, 「標準報酬等級表(掛金等早見表)」, 2016/9/1.
・大阪府市町村:大阪府市町村職員共済組合, 「標準報酬等級表」.
・協会けんぽ:全国健康保険協会協会けんぽ, 「平成28年10月分(11月納付分)からの健康保険・厚生年金保険の保険料額表」(東京都), 2016/10.
・道府県職員(地方職員共済組合):
  ・短期掛金:地方職員共済組合, 「短期給付とは」, 2015/10.
  ・介護掛金:地方職員共済組合, 「~組合員とそのご家族のみなさまへ 平成28年4月から短期給付に係る制度が変わります~」, 2016/4.

 健康保険の料率が各健康組合・共済組合で大きく異なる要因には、加入者の家族構成・傷病率などがありますが、最大の要因は、加入者の給与水準ではないかと思います。仮に、家族構成・傷病率などが同じであれば、必要となる医療給付費等の総額(つまり、保険料総額)が等しくなりますが、次式に示すように、保険料率は給与水準が高ければ低くなります。

  • (保険料総額) = (医療給付費等の総額) = (給与総額)×(保険料率)
      ⇒ (保険料率) = (必要な医療費等の総額)/(給与総額)
    (給与総額が増えれば(給与水準が高ければ)、保険料率は下がる)

 給与水準が高い日本テレビや南部銀行などは保険料率が低く、中小企業の従業員が多く給与水準が低い協会けんぽでは健康保険料率が高くなっていることからも裏付けられます。

4.3.4 事業主負担率・従業員負担率について

 従業員負担率・事業主負担率は、健康保険法161条により、50%と決まっていますが、(厚生労働大臣の認可を受けることが必要な)健康保険組合の規約に定めた場合には、従業員負担率を減らすことができます(法162条)。健康保険料を含めた人件費を一定として事業主側の負担率を上げ、その分、従業員側の給与を減じた場合、事業主側での法人税負担は変わりません。また、従業員側の所得は減じられますが、多くなっても少なくなっても、もともと控除対象であるため、控除後の所得は変わらず、支払う所得税は変わりません。

 保険料を含めた人件費が一定のものとでは、単なる額面給与を変動させるだけなので、増減税はありません。但し、額面給与で徴収額を決めている厚生年金や健康保険の場合、徴収額の調整を行う必要があります(徴収後は、基本的には、支払額の増減はありません。標準報酬額は一定額に丸めているので、それに起因する微小な増減は残ります)。

 事業主負担を設定したり、その負担率を変動させることは、実際に支払っている健康保険料の額を分かりにくくするだけなので、すべて給与額面に反映させる方が「見える化」という観点からはよりよいでしょう。健康保険料の高さを認識することで、健康保険料に対する無駄をできるだけ少なくするように意識付けされるという点でもよいのではないかと思います。

4.3.5 被扶養者を考慮した健康保険制度の改正案

 これまで、健康保険制度の概要と各保険組合・共済組合・自治体における保険料を見てきました。ここでは、130万円の壁を減らすような健康保険制度の筆者の私案について、その概要を述べます。

 健康保険は基本的に被扶養者の数による保険料体系となっていないことがあるので、その点を考慮して料金体系を変更することと、「見える化」によって、大幅に壁を低くすることができます。概要は、以下の通りです。

  • 事業主負担をなくし、全額、従業員負担とする。
    • 事業主の人件費(給与と事業主健康保険料の和)を一定として、従業員負担額の増額分を事業主が全額補填する。従業員の額面給与が全体的に上がるため、その分を補正して、保険料率を再計算する。
    • 額面給与は増額するが、控除額も増額するため、課税対象となる所得は変わらない(増税とならない)。
  • 健康保険料に対して、被扶養者の保険料を考慮した保険料体系にする。
    • 子どもや高齢者の被扶養者については、共助の観点から、被扶養者として加算する保険料に含めず、従来通り、加入者全員で一律に負担する。
    • それ以外の被扶養者(例えば、20才~60才の被扶養者)については、給与130万円で国民健康保険に入ったときに必要となる保険料相当額を(定額で)保険料に上乗せする。
    • 被扶養者加算は、低所得で保険料が低い加入者に過大な負担となるための負担軽減措置を導入する。
      • 例えば、被扶養者がいる加入者において、被扶養者加算を含めた保険料が、被扶養者加算抜きの保険料(単身者の保険料)Ck倍(例えば、k=2)の額を超えた場合には、保険料kCをその額にする。
      • kの値を小さくすることで、より多くの低所得者を救済することになる。
      • 但し、k=1とすると、全員が救済されるので、単身者も被扶養者を持つ加入者も、現行と同じ負担額となる。扶養を反映させるためには、kは1よりも大きくする必要がある。
      • 被扶養者の保険料を上乗せすれば、全体の保険料総額も増えるので、増額分を全体の保険料引き下げに回し、リバランスする。
    • 各自治体の国民保険料には、相当の幅があるので、多くの場合、国民保険に入った方が割安とならない程度の額、例えば、月額5,000円(年60,000円)程度が設定の目安。介護分も加えるとすれば、月1,500円程度上乗せし、40才以上で月6,500円(年78,000円)とする。
    • 被扶養者抜きの保険料は安くなるので、被扶養者が一人(例えば、配偶者のみ)の場合の保険料は、現行より、そのまま5,000円増額されるわけではない。
      • 正確な試算には基礎データが必要だが、有配偶者率が7割前後であることを考えると、月3,000~4,000円程度の負担増で済むと思われる。

 配偶者が扶養から外れた場合の壁の高さは、(国民健康保険の保険料の新規負担分)-6万円(7.8万円)となり、これまでの壁を6万円(7.8万円)程度低くすることができます。どこの自治体に住んでいても壁の高さは従来の半分以下となります。

4.3.6 健康保険組合の間の格差を考慮した保険制度の改正案

 将来的な方向性としては、各医療保険(国保・健保など)で主に給与水準に伴うことに起因する保険料率の違いを平準化する枠組みを構築する必要があるのではないかと思います。後期高齢者支援金も、老人だけでは賄えない保険料を、他の医療保険で賄っているという意味では、保険料を平準化する枠組みです*1。その考えを保険組合毎の格差の平準化にも適用しましょうということです。

 例えば、次のような統合スキームを考えればよいのではないかと思います。

  • 全組合の保険料をプールする全体組合を作る。
  • 全体組合は、全組合の全加入者に応じて、標準料率を決定する。
    • 標準料率を全加入者に適用することにより、必要となる医療給費の総額が得られる。
    • また、医療給付費の総額は、全保険組合の医療給付費の総額から求められる(扶養を考慮した場合には、加入者数と被扶養者数の総数が必要)。
  • 各保険組合は、標準料率を用いたときの加入者の保険料の総額Xを算出する。また、加入者のために必要となる医療給付費等の総額Yを算出する。
  • 次の額を全体組合に授受する(Zが正で拠出、負で受取)。
    • Z = (X - Y)×α
    • Zを授受をした後に、各保険組合で必要となる保険料総額Wから保険料率を再計算する。
      • 必要となる保険料総額 W =Y+Z = Y+(X-Y)×α = (1-α)Y + αX
      • 式の形式から明らかなように、上式は、XとYをαで内挿したものとなる。
        • α=1.0で、全組合の全加入者が同じ標準料率が適用される。
        • α=0.0で、現状のままの保険料率が適用される。
        • 例えば、α=0.5とすれば、標準料率と組合単位の料率を半々を加味したものとなる。
        • 将来的に、α=1.0とする(全体を一つの組合に統合する)か、それ以外で、保険組合の自由度を残すかは、議論が必要。
  • 影響
    • 料率が低い保険組合の加入者(≒給与水準が高い加入者)は、料率が高くなる(値上げとなる)。
    • 料率が高い保険組合の加入者(≒給与水準が低い加入者)は、料率が低くなる(値下げとなる)。

 まずは、国保と健保・共済では、保険料の計算方法が随分と異なるので、健保・共済で一つの全体組合、各自治体の国保で一つの全体組合という形にするのでしょう。しかし、協会けんぽでさえ、地域差*2を付けているので、格差を平準化するというのは、相当な時間、議論を要する問題なのかもしれません。

 格差をつけるというのは受益者負担(コスト負担)を平等にするというの考え方で、格差なしは共助を中心とする考え方です。年金は受益者負担に重きをおき、健康保険については共助を中心とした考えに重きを置くということでよいのではないかと個人的には思います。

 国民健康保険において、自治体格差を縮小すれば、企業の健保組合における被扶養者分の保険料を値上げして(単身者等は値下げ)、壁の高さにより近づけることができますので、さらに壁を低くできます。

(2016/12/8)

働き方に中立な税制・社会保障制度の改革 (4) 私案-見える化による年金の壁の撤廃

 本章からは、働き方に中立な税制改革と社会保障制度の抜本改革についての私案を提案したいと思います。まず、本章では、社会保険料による壁の撤廃を「見える化」によって撤廃する方法について述べます。

4. 「見える化」による社会保険料の壁の撤廃

4.1 「見える化」による壁の撤廃

 本章では、見える化によって、社会保険料によって作られた壁を撤廃する方法について提案します。

 配偶者の年収が130万円以上になると、社会保険料を配偶者が負担することになります。年金は、国民年金第3号被保険者となる条件を満たさなくなり、配偶者自ら国民年金第1号被保険者として、国民年金に加入する必要があります。同様に、健康保険も世帯主の会社の健康保険の被扶養者でなくなり、国民健康保険に加入しなければなりません。同様に、106万円以上の収入などの条件を満たし厚生年金に加入する場合にも、自ら保険料を負担する必要があります。

 年収が130万円以上(あるいは106万円以上)となれば、国民年金・国民健康保険の保険料を自ら負担することになるために、国民年金・国民健康保険の社会保険料を差し引いた後の手取り収入が減ることになります。このため、年収130万円未満となるように就労調整が行われると言われています。

 しかし、被扶養者のときに配偶者分の社会保険料を負担していなかったとしても、誰かがその費用を負担しているわけです。その費用負担の制度は、年金・健保でそれぞれ異なりますが、被扶養者である場合であっても、結局は、巡り巡って、その費用は労働者(世帯主)が負担しています。この巡り巡って負担している費用を見える化(可視化)して、さらに受益と費用負担を一致させることができれば、壁を完全に無くすことができます。

 このような「見える化」の視点から年金・健保の制度を見直してみると、社会保険料によって出来上がってしまった壁を撤廃したり、小さくすることが可能となります。

 次節以降では、年金と健康保険による壁の撤廃について検討します。

4.2 年金による「130万円の壁」

 年金保険料で発生する「130万円の壁」の撤廃については、納得性が高い方法によって実現することできます。

 単純ですが、厚生年金(及び共済年金)の保険料体系を国民年金第3号被保険者の保険料を「見える化」するように改定することです。このためには、次の二つを行えばよいです。

  • 事業主負担をなくし、保険料の全額を従業員が負担する。
  • 従業員の配偶者の負担額を見える化する。

4.2.1 事業主負担をなくし、保険料の全額を従業員が負担する

事業主負担率を変更した場合の影響

 事業主負担を変更した場合、厚生年金の加入義務の有無の境界にいる従業員に対しては、例えば、次のような影響があると思われます。

  • 事業主負担率を100%とした場合、厚生年金の対象者(例えば、106万円給与)の労働者と、厚生年金の非対象者(例えば、105万円給与)の二人の労働者がいた場合、厚生年金対象者を雇用するよりも、非対象者を雇用した方が人件費が安くなるため、従業員に就労制限を行う動機付けとなります(雇用に抑制的)。
     一方、105万円給与の国民年金第1号被保険者が106万円給与となれば、年金保険料の負担がなくなるため、厚生年金に加入する動機付けとなります(労働に促進的)。
     国民年金第3号保険者の場合、105万円でも106万円でも保険料負担はないために労働に中立的となります。
  • 事業主負担率を0%とした場合、事業主は従業員の賃金が105万円でも106万円でも負担はないので、雇用に中立的です。一方、国民年金第1号被保険者は、厚生年金保険料が国民年金保険料と同額であれば労働に中立的、高ければ抑制的、低ければ、促進的に働きます。国民年金第3号被保険者は、新たに保険料負担が発生するので、抑制的に働きます。
  • 事業主負担率を50%とした場合、事業主は雇用に抑制的となります。国民年金第1号被保険者は、106万円給与であれば厚生年金の方が保険料が安くなるため、促進的となります。国民年金第3号被保険者の場合は、負担が増えるため、働き方に抑制的です。

 この関係を表4.1にまとめます。この中で、事業主・国民年金第1号被保険者・国民年金第3号被保険者にとって、中立的あるいはほぼ中立的な制度を設計できるのは、事業主負担を0%とした場合だけです。中立な制度設計については、次節以降に説明します。

表4.1 事業主負担率による労働・雇用に対する中立性。
事業主負担率 100% 50% 0%
事業主 雇用を抑制雇用を抑制 雇用に中立
国民年金第1号被保険者労働を促進労働を促進 保険料に依存(中立・抑制・促進)
国民年金第3号被保険者労働に中立労働を抑制 労働を抑制

事業主負担率0%への移行、事業主負担分は給与に反映

 事業主は、現在、事業主負担分として支払っている保険料を従業員給与に反映し、従業員は増えた給与から全額の保険料を支払います。

 給与明細の額面給与は増えますが、保険料は給与から天引きされるので、結局、手元に入るお金は変わりません。また、社会保険料は全額控除できますので、課税対象所得も変わりません。

 事業主側の人件費も変更ありません(たぶん)。

 年金における事業主負担の意義を筆者はそもそもよく理解できていないので、間違えがあるかもしれません。事業主負担と従業員負担の問題については以下の文献がありましたので、興味のある方は、ご参照ください。
 ● 酒井正, 「事業主負担と被保険者負担」, 日本労働研究雑誌, No. 657, pp.76-77, 2015/4.
 文献では、社会保険料として年金と健康保険料を区別せずに説明していますが、年金の場合には実質的に二つの制度(国民年金と厚生年金)しかなく事業者が直接的に関与できないのに対して、健康保険の場合は、実質的に事業主が運営する健康保険組合があるために、事業者責任を負わせるという考えがあります(例えば、従業員の健康を保つようにすれば、事業主が負担する健康保険料も安くなるため、事業主として健康増進に努める)。このため、同じ社会保険料であっても、その影響は異なる場合があります。健康保険制度における事業主負担については、次の文献がありますので、ご参考まで。
 ● 国会図書館,「社会保険料の事業主負担」, 調査と情報, No. 652, 2009/10/27.
 ● 健康保険組合連合会,「健康保険制度における事業主の役割に関する調査研究報告書」, 2011/3.(概要) (全文)

移行時の影響

 既に雇用している場合には、既存の人件費の付け替えだけです。しかし、新規雇用する場合、従来と同じような額面賃金で従業員を募集する場合がでてくると思われます。つまり、実質賃下げです。長期的に見れば、賃下げは補正されると思いますが、移行時の賃下げをさせないようにする必要があるかもしれません。また、経済状況がよいタイミング、つまり、求人倍率が高い状態で、移行することも必要かもしれません。

 細かい影響としては、額面給与で判断していた年金保険料・健康保険料等は、額面給与の変動に合わせて改定する必要があります。最低賃金なども改定する必要があるでしょう。

4.2.2 配偶者の負担額を見える化する

従業員の保険料は3階建て

 配偶者(国民年金第3号被保険者)の保険料は、厚生年金(あるいは共済年金)が負担しています。この負担額が国民年金第3号被保険者の配偶者がいる従業員とそうでない従業員で均等割りされているために、配偶者が国民年金第3号被保険者から別の年金(国民年金や配偶者が勤める会社の厚生年金)の加入者となったときに、配偶者自らが保険料を支払うようになるため、新たな負担が発生しているように見えてしまいます。

 この問題に対しては、見える化が有効です。

  • まず、従業員は、従業員自身の国民年金第2号被保険者の保険料を支払います。
  • また、第3号被保険者の配偶者がいる従業員は、加えて配偶者の第3号被保険者の保険料を支払います。
  • 加えて、厚生年金の上乗せ分の保険料を支払います。

 つまり、保険料の内訳明細としては、「第2号被保険者の保険料」、「第3号被保険者の保険料」、「上乗せ分の保険料」と3つの構成となります。第3号被保険者の配偶者がいない場合には、当然のことながら、「第3号被保険者の保険料」は支払う必要はありません。

配偶者が第3号被保険者から外れた場合

 図4.1に示すように第3号被保険者の配偶者が加入資格を失った場合、配偶者自らが国民年金分の保険料を支払う必要がありますが、配偶者がパートや会社に就職する場合などは、国民年金第2号被保険者として会社経由で保険料を支払い、(自営業者やブロガー・個人投資家など)そうでない場合には国民年金第1号被保険者として直接日本年金機構に支払います。

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図4.1 厚生年金の見える化。

 このように配偶者の国民年金の保険料負担を「見える化」すれば、国民年金の保険料部分については、世帯主の会社経由で支払うか(第3号被保険者)、配偶者自身の会社経由で支払うか(第2号被保険者)、直接支払いか(第1号被保険者)だけの違いで、これまでの第3号被保険者は保険料を負担しなくて済むという優遇はなくします。

配偶者が第1号被保険者となる場合、壁は完全撤廃

 配偶者が第3号被保険者から第1号被保険者となる場合には、第1号被保険者でも第3号被保険者でも保険料は基本的には変わりませんので、世帯単位で見た場合にも年金の負担額は変わらず、働き方に中立となり、年金保険料による壁は完全になくなります。

 厳密には、第1号被保険者の国民年金は支払い方による値引きがあるため、僅かな保険料の差は発生します。

配偶者が第2号被保険者となる場合の保険料

新しい保険料率
 保険料内訳の「見える化」に伴って、厚生年金では保険料も改定する必要があります。

 ここでは、厚生年金保険料の総額は保ったまま、国民年金分の負担額を第3号被保険者がいる従業員にも付加するように料金改定します。その理論的な計算方法を示します。

 現行の制度で厚生年金保険料の支払総額Tは、従業員の給与総額をS、保険料率をRとして、以下の通りとなります(但し、単純化のため事業主負担は0%とし、給与は標準報酬に丸めるとする)。

 (厚生年金保険料の総額 T) = (従業員の給与総額S)×(保険料率R)
また、
 保険料率 R = \frac{\mbox{厚生年金保険料の総額}T}{\mbox{全従業員の給与総額}S}

 全従業員数をM、そのうち第3号被保険者の配偶者がいる従業員数をNとすると、第2号被保険者の配偶者数もNとなります。一人当たりの国民年金の保険料をKとして、厚生年金総額Tに占めるM名の第2号保険者とN名の第3号保険者の国民年金の総額は (M+N)K となります。「見える化」した制度での新しい保険料率をR'とすると、集めるべき厚生年金保険料の総額Tは変わらないので、以下の式が成り立ちます。

 (厚生年金保険料の総額T) = (従業員の給与総額S)×(新保険料率R')+(M+N)K

新しい保険料率R'は厚生年金の上乗せ分に対応した保険料率となります。また、新保険料率R'は、次式で示すように計算できます。

 新保険料率 R' = \frac{T-(M+N)K}{S} = \frac{T}{S}-\frac{(M+N)K}{S}=R-\frac{(M+N)K}{S}

 ここで、補正料率r=\frac{(M+N)K}{S}とおくと、

 新保険料率 R' = R-r

rは正の値なので、新保険料率R'は従来の保険料率Rよりも小さい料率となります。

各従業員の保険料
 この新保険料率R'を用いて、各従業員の厚生年金の保険料を計算することができます。第3号被保険者の配偶者がいない従業員の保険料をP、その給与をp、第3号被保険者配偶者がいる従業員の保険料をQ、その給与をqとすると、それぞれ、以下の通りとなります。

 第2号被保険者の配偶者がいない従業員の保険料 P = pR'+K
 第2号被保険者の配偶者がいる従業員の保険料  Q = qR'+2K

同じ給与(p=q)であれば、配偶者がいる従業員の保険料は、配偶者がいない場合に比較して配偶者の国民年金の分だけ多くなります。

従来との比較
   次に、従来の保険料と比較します。従来の保険料は給与がpであれば、pRとなります。また、従業員給与pを従業員給与の平均値Hとパラメータ\alphaを用いて、次にように表すとします。

 従業員給与    p = \alpha H
 従業員の平均給与 H = \frac{S}{M}

このとき、配偶者がいない場合の保険料と従来保険料との差額dは、次のようになります。

 差額 d = (pR'+K) -pR = p(R-r)+K-pR = -pr+K = -\alpha Hr +K

 H=\frac{S}{M}, r= \frac{(M+N)K}{S}を代入し、

  d= -\alpha \frac{S}{M}\frac{(M+N)K}{S} + K = -\frac{\alpha(M+N)}{M}K + K = \left(1-\frac{\alpha(M+N)}{M}\right)K

差額dが正で負担増、負で負担減となるので、

  • 負担増:  \alpha \lt \frac{M}{M+N}
  • 負担減:  \alpha \gt \frac{M}{M+N}
  • 増減なし:  \alpha = \frac{M}{M+N}

同様に、配偶者がいる場合の負担の増減は、以下のようになります。

  • 負担増:  \alpha \lt \frac{2M}{M+N}
  • 負担減:  \alpha \gt \frac{2M}{M+N}
  • 増減なし: \alpha = \frac{2M}{M+N}

 低所得者ほど、負担増となるのは、従来制度では低所得者の保険料を高所得者が支払っていた制度であったために発生する現象です。例えば、第3号被保険者を給与0円の従業員と考えると、従来制度は給与0円の従業員の国民年金保険料を他の従業員が肩代わりするように、所得の再分配(保険料の再分配)を行っていると見なせます。社会保険料を受益者負担の原則に則るとすれば、原則から外れた従来制度を適正化するために発生する負担増と考えることもできます。

2014年度の統計を用いた保険料額表の計算
 2014年度の統計を用いて、具体的に保険料額表を計算します。統計データは、次の資料の値を用いています。

 年金加入者数から、負担の増減がない\alphaを計算すると、以下となります。

  • 配偶者がいない場合
    • 負担の増減のない給与(年収):\alpha H = 0.81\times 4,361,575 = 3,543,999
    • 差額d d=(1-1.23\alpha)K (平均給与(\alpha=1)で、年42,217円の負担減)
    • 差額dの最大値(\alpha=0のとき): d=K=15,250\times12=183,000円(年額)
  • 配偶者がいる場合
    • 負担の増減のない給与(年収):\alpha H = 1.62\times 4,361,575 = 7,087,998
    • 差額d d=(2-1.23\alpha)K (平均給与(\alpha=1)で、年140,783円の負担増)
    • 差額dの最大値(\alpha=0のとき): d=2K=2\times15,250\times12=366,000円(年額)

 つまり、最大でも負担増は、国民年金の年金額Kの一人分か、あるいは、二人分です。また、\alpha=0とは無収入ということですが、それでも国民年金分の支払義務はあります(国民年金第1号被保険者と同一基準)。

また、補正料率rを計算すると、給与総額 Sは、 S = MHであるので、

  • 補正料率 r = \frac{(M+N)K}{S} = \frac{(4040+932)\times 15,250 \times 12}{4040\times 4,361,575} = 5.164\%
  • 新保険料率:12.310\%

新しい保険料率R'を用いて、新保険料と、その現行保険料との差額を計算した結果を表4.2、グラフ化した結果を図4.2に示します。

表4.2 新保険料の厚生年金保険料額表。 f:id:toranosuke_blog:20161224195827p:plain:w450

2014年9月の保険料率17.474%と新保険料率R'=12.310%、国民年金保険料K=15,250円に基づいて計算。事業主負担率は0%で計算しているが、労使折半とするのであれば、保険料を半額にすればよい。

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図4.2 新保険料の厚生年金保険料。

「壁」の高さの減少額
 「見える化」した新制度での第3号被保険者の配偶者がパート勤務などで給与wの第2号被保険者に変わる場合の保険料の世帯支払額の差額(壁の高さ)を現行制度でD、新制度でD'と表すと、以下となります。

  • 壁の高さ(旧制度) D  = 0 (世帯主減額分)  +wR (配偶者保険料)  = wR
  • 壁の高さ(新制度) D' = -K (世帯主減額分)  + (wR'+K) (配偶者保険料)  = wR'

従って、壁の高さの減少幅D''は、以下の通りとなります。

  • 壁の高さの減少幅 D'' = D' - D = wR'-wR = w(R-r-R) = -wr

標準報酬毎の壁の減少額を表4.3に示します。「106万円の壁」、「130万円の壁」それぞれの壁のところで見ると、

  • 106万円の壁(88,000円)の高さ(年額) :184,524円 ⇒ 129,996円 (減少額54,528円)
  • 130万円の壁(110,000円)の高さ(年額):230,652円 ⇒ 162,492円 (減少額68,160円)

労使折半すれば、約11万5000円の壁から約8万1000円の壁と、3万4千円ほど壁が低くなります。

表4.3 壁の減少額。
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最小の標準報酬のときに国民年金保険料と同額を支払う場合

 前述のモデルでは、給与0円で国民年金保険料Kを支払うモデルでしたが、図4.2に示すように最小の標準報酬8万8000円で国民年金保険料を支払うモデルで計算すると、配偶者がいない場合には保険料はすべての収入において減額することができます。

 前節と同様に計算すると、最低標準報酬をbとして、補正料率r''と新保険料率R''が計算できます。

  • 新保険料率  R'' = \frac{HMR-K(M+N)}{(H-b)M} = \frac{4,361,575\times\times4040\times0.17474-(4040+932)\times15,250\times12}{(4,361,575-88,000\times12)\times4040}=16.243\%
  • 配偶者がいない従業員の場合
    • 保険料 P = (p-b)R'' + K = (p - 88,000)\times0.16243 + 15,250
    • 収入によらず保険料は減額
  • 配偶者がいる従業員の場合
    • 保険料 Q = (q-b)R'' + 2K = (q - 88,000)\times0.16243 + 15,250\times2
    • 収入によらず保険料は増額
  • 壁の高さ
    • 壁の高さ(旧制度)  D=0 (世帯主減額分)+ wR (配偶者保険料) = wR
    • 壁の高さ(新制度)  D'' = -K (世帯主減額分)+(w-b)R''+K (配偶者保険料)

 2014年度の数値を用いて計算した結果を表4.4の(a)に新保険料額表、(b)に壁の高さを示します。このモデルで配偶者がいない場合には、新モデルでは標準報酬の最低額で国民年金の保険料、旧モデルではそれとほぼ同額となりますので、新モデルとの差はほとんどありません。一方、配偶者がいる場合には、配偶者の国民年金保険料を新たに負担するので、その分の負担増があり、その差額は、常に、国民年金の保険料(15,250円)となります。

 また、報酬の増加に対しては、旧モデルとので、負担は報酬の増加に応じて小さくなります。これは、旧保険料率が17.474%が新保険料率の16.243%よりも料率が高く、報酬が高い従業員がよりほど多く、配偶者の国民年金保険料を負担していたためです。

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(a)旧保険料と新保険料の比較
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(b) 106万円付近の拡大
図4.3 最小の標準報酬のときに国民年基本保険料と同額を支払う場合の保険料。


表4.4 壁の減少額最(小標準報酬のときに国民年金保険料と同額を支払う場合)。 f:id:toranosuke_blog:20161224200653p:plain:w500
(a) 保険料額表。
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(b) 壁の減少。

給付額のシミュレーション
 現行制度でも、「見える化」した制度でも、集めた厚生年金保険料の総額は変わりありませんので、給付は現行制度と同じとなります。但し、現行制度では、インフレ・予定利回り・運用利回り・人口構成、寿命の変化や国庫負担、支払減免、加給など様々な要因から決められているので、複雑です。

 受益者負担の原則に則った理想的なモデルで計算してみます。条件としては、給付は終身ではなく固定の給付期間、保険支払の期間は40年間とします。簡単に言えば、インフレ等のすべての要因を考慮せず、自分が40年掛けて積み立てた保険料を給付期間に年金として払い戻すという最も単純なモデルです。

 ここで、給付期間tを、例えば、国民年金保険の保険料と給付額から概算すると、表4.4のように10年程度で設定されています。給付期間が10年のときは、新保険料の4倍が給付されます(40年で貯めたお金を10年で消費するため)。65才からの給付であれば75才寿命でないと給付原資がなくなります。

表4.4 保険料と給付額の関係。
保険料A(月額)給付額B(年額)(A×12×40)/B
2014年度15,250 772,8009.47年
2015年度15,590 780,10010.00年
2016年度16,260 780,10010.08年

 しかし、平均寿命を考えると、現実的な設定ではありません。65才給付で85才までの20年間給付するとすれば、保険料の2倍が給付額となります。老齢基礎年金(国民年金部分の年金)は、現在、保険料の4倍程度の約6万5000円/月ですが、負担と給付を一致させるのであれば、年金額は半分程度の月額3万2500円でなければなりません。

 現在は、国庫から国民年金へ拠出されていますが、国庫といっても主な収入源は税金(と借金)しかありません。税金の大部分は所得税・法人税として現役世代が支払い、消費税も収入が多い現役世代が多くを支払っていることを考えると、持続可能な制度設計とは言えそうにありません。

 受益と負担を一致させるという条件で、保険料、支払期間、給付期間、給付額についていくつかのモデルケースを示します。

表4.5 支払と給付のモデルケース。
保険料A支払期間B 給付期間C 給付倍率D=B/C給付額E=A×D
ケース115,25040年間(20才~60才)10年間(65才~75才)4倍 61,000
ケース215,25040年間(20才~60才)20年間(65才~85才)2倍 30,500
ケース322,87540年間(20才~60才)20年間(65才~85才)2倍 45,750
ケース422,87545年間(20才~65才)20年間(65才~85才)2.25倍 51,469
ケース522,87545年間(20才~65才)15年間(70才~85才)3倍 68,625

 ケース5の保険料を1.5倍、支払期間を65才までに延長、70才からの支給開始ぐらいの制度改革が必要になりそうです。年金勘定の中でさえも所得の再配分をしないと低所得者は暮らしていくことは難しそうです。

 さらに、現行制度は現役世代が年金世代を支えるという制度となってしまっているので、少子化を考えれば、ケース5の場合でも大幅な原資不足となる時期がくると思われます。

 現実には、国民年金だけではなく、付加的な年金(あるいは貯蓄)をしなければならないことを考えると、現状では第3号被保険者も、付加的な年金制度に加入する必要があります。現状の付加的な公的年金としては、国民年金基金と確定拠出年金がありますが、国民年金第3号被保険者の場合、国民年金基金には加入できず、個人型拠出年金についても、拠出限度額が月額2.3万円と第1号被保険者の月額6.8万円に比べて低く抑えられています((厚生労働省, 「確定拠出年金の対象者・拠出限度額と他の年金制度への加入の関係」))。

(2016/12/8)

働き方に中立な税制・社会保障制度の改革 (3) 自民党・民進党・政府税調の見直し案

 今回の政府与党以外の配偶者控除に関連した制度の見直しの具体的な案について、改めて調べてみました。調べたのは自民党・民進党と民主党政権下の「社会保障と税の一体改革」です。また、安倍政権で復活した政府税制調査会の検討についても説明します。

3. 自民党・民進党・政府税調の制度の見直し案

3.1 民主党政権下の「社会保障と税の一体改革」

 野田内閣のもと、2012年2月17日に閣議決定された「社会保障・税一体改革大綱について」では、冒頭ページにて「社会保障・税一体改革大綱に盛り込まれた具体的な施策については、政府・与党それぞれが、連携・協力しつつ、その実現に取り組む。」としました。

 その後、2012年6月21日に民主党・自民党・公明党のもとで、「社会保障と税の一体改革」に関する合意、所謂、三党合意がなされましたが、「社会保障制度改革国民会議を設置し、その提案をもとに改革を進める」ことが確認されただけで、具体案はこの段階でも提案されていません。「社会保障制度国民会議」は、2013年8月6日に安倍首相に最終報告書*1を提出し、解散しましたが、さまざまな社会保障に関する論点・視点をまとめているもので、具体策については示されていません。

 その後、安倍内閣により事実上「三党合意」は破棄され*2、現在に至っています。

 野田内閣で成立させた社会保障制度改革推進法に基づき進められた「社会保障と税の一体改革」について、「社会保障制度改革推進会議」にて議論が継続されていますが、配偶者控除 ・扶養控除などの税制改革については議論されていないようです*3 (安倍政権で復活した政府税調で議論している)。「社会保障と税の一体改革」のホームページで安倍政権以降に公表されている主な資料である「社会保障・税の一体改革による社会保障の充実に係る実施スケジュール」でも、税制度については消費税値上げしか示されておらず、活動休止状態のようです。

3.2 自民党

 自民党のホームページを検索式「配偶者OR扶養 控除 site:jimin.jp」でGoogle検索すると、例えば、以下のような民主党政権の政策を批判するプロパガンダがほとんどで、政策らいしい政策を見つけることが困難です。

  • 「民主党による「子ども手当の創設で」実は、子供のいない世帯では必ず増税。配偶者控除・扶養控除や児童手当が廃止に。子どものいない、または高校生以上の子どもがいても専業主婦世帯では増税になります」(新聞広告)
  • 「児童手当、配偶者・扶養控除は廃止に」(知っておきたい民主党の政策(6), 2009/7/28.)

 第二次安倍政権以降(2012/12/26-2016/11/30)に制限すると、僅か10件の情報発信しかなく、ほとんど議論されていないことが窺えます。

  • 「配偶者控除や第三号被保険者制度など、女性の活躍促進に大きく関連する税・社会保障制度は、女性の生き方・働き方に中立的なものとなるよう本格的に見直します」(参議院選挙公約2016)
  • 「これらを踏まえ、個人所得課税について、効果的・効率的に子育てを支援する観点、働き方の選択に対して中立的な税制を構築する観点を含め、社会・経済の構造変化に対応するための各種控除や税率構造の一体的な見直しを丁寧に検討する」(自民党・公明党「平成27年度税制改正大綱」(2014/12/30))
    他の改正案は、すぐに法案にできるレベルの具体性がありますが、個人所得税に関しては、項目を挙げているだけです。
  • 「社会保障は、社会保険制度を基本とします。消費税は、全額、社会保障に使います」「税や社会保険料を負担する国民の立場に立って、生活保護法を抜本改正して不公平なバラマキを阻止し、公平な制度を作ります」(自民党政権公約, 2016参議院選挙)

 個人所得税について女性活躍のための観点を含めて検討する、としていますが、特に具体的な内容については、語られていません。

 そして、記者会見での質問に答える形で、自民党政調会長から、今回の見直し案に繋がる発言が初めてありました。 

  • 「税調のスケジュールは決まっているので、それに沿ってやっていくということになると思います。働き方に中立的な税制を作っていくことは、「働き方改革」の大きなテーマの一つです。ここで、最初の壁と言われているのが、パート労働者のいわゆる「103万円の壁」。これを除去する税制改正ということであり、税調の議論を経て、年末には結論を得たいと思っています。」(茂木政調会長記者会見(2016/10/6) )

 自民党内ではほとんど議論した形跡がなく、突然、現れたのが今回の見直し案となります。茂木政調会長の記者会見では、政府税調による結果を受けるとの意図の発言でありますが、茂木政調会長のフライング発言で、自民党は政府税調の議論は反映せず、今回の見直し案を持ち出しています*4*5

3.3 民進党

 民主党・民進党における所得税改正についての主たる主張は、「給付付き税額控除制度」の導入ですが、制度の中身の具体策については、公表されていません。

3.3.1 民主党マニフェスト(2009)

 民主党の2009年の衆議院選挙のマニフェストで「給付付き税額控除制度」を提案しています。

給付付き税額控除制度の導入  相対的に高所得者に有利な所得控除を整理し、必要な人に確実に支援ができる給付付き税額控除制度を導入します。  生活保護などの社会保障制度の見直しと合わせて、①基礎控除に替わり「低所得者に対する生活支援を行う給付付き税額控除」消費税の逆進性緩和対策として、基礎的な消費支出にかかる消費税相当額を一律に税額控除し、控除しきれない部分については給付をする「給付付き消費税額控除」就労への動機付けのため、就労時間の伸びに合わせて「給付付き税額控除」の額を増額させ、就労による収入以上に実収入が大きく伸びる形で「就労を促進する給付付き税額控除」――のいずれかの目的若しくはその組み合わせの形で導入することを検討します。ただし、不正還付・不正受給を防ぐためにも所得の正確な把握が必要であり、納税と社会保障給付に共通の番号制度の導入が前提となります。  なお、税額控除額全額を控除するだけの税額がなく、給付を受けることになる場合は、その給付額はまずは年金や医療等の社会保険料負担分と相殺することを検討します。
出典:民主党, 「第45回衆議院選挙 マニフェスト2009」, 2009.

3.3.2 民進党政策集(2016)

 また、民進党となった現在でも、主要政策の一つとして「給付付き税額控除」を提案しています。

所得税
● 所得再分配の観点、子育て等で負担の大きい給与所得者を支える観点などから、「所得控除から税額控除・給付付き税額控除・手当へ」の流れを進めます。
● その流れの中で、共稼ぎ世帯、ひとり親家庭の増加など世帯の態様の変化や家計の実質的な負担に配慮しつつ、配偶者控除も含め、人的控除全体の見直しを行います。
● 格差是正の観点から消費税の逆進性対策としての給付付き税額控除を早急に導入するとともに、子育て支援、ワーキングプア対策の視点を加味し給付付き税額控除の導入に向けた検討を行います。
出典:民進党政策集2016(税制)

中立的な税制の実現
● 共働き世帯の増加など社会の構造変化に対応し、男女共同参画社会に資する、性やライフスタイルに中立的な税制の実現に取り組みます。
● 年金の第3号被保険者の見直しを検討するとともに、共稼ぎ世帯、ひとり親家庭の増加など世帯の態様の変化や家計の実質的な負担に配慮しつつ、配偶者控除も含め、人的控除全体の見直しを行います。
出典:民進党政策集2016(内閣:男女共同参画・子ども)

3.3.3 国会審議中の「給付付き税額控除の導入」に関する法案

 第190回国会(現在開かれている国会)では、消費税増税の逆進性に伴う軽減措置として、軽減税率に代わり「給付付き税額控除」を行う法案を提出しています。

(給付付き税額控除の導入)
第四条 政府は、消費税の逆進性を緩和するため、次に掲げる方針に従って給付付き税額控除を導入するものとし、このために必要な法制上の措置その他の措置を講ずるものとする。
 一 給付付き税額控除において所得税の額から控除する額は、居住者一人当たりの飲食料品の購入に要する費用の額に係る消費税の負担額として家計統計(統計法(平成十九年法律第五十三号)第二条第四項に規定する基幹統計である家計統計をいう。)における食料に係る消費支出の額(酒類及び外食に係るものを除く。)、消費税の収入見込額等を勘案して算定した額の十分の二に相当する額を基礎として計算するものとすること。この場合において、当該控除する額は居住者の所得の額の逓増に応じて逓減するように定めるとともに、一定以上の所得を有する者については給付付き税額控除における控除を行わないものとすること。
 二 給付付き税額控除に関する事務は、別に法律で定めるところにより内閣府の外局として置かれる歳入庁がつかさどるものとすること。
 三 消費税率の引上げと同時に、給付付き税額控除を導入するものとすること。
(消費税の軽減税率制度の廃止)
第五条 政府は、消費税の軽減税率制度を廃止するものとし、このために必要な法制上の措置その他の措置を講ずるものとする。
出典:山尾志桜里他, 「消費税率の引上げの期日の延期及び給付付き税額控除の導入等に関する法律案」, 第190回国会提出, 衆法52号.

 この法案は基本法的な位置づけなのでしょうか。この法案を見る限りでは、給付付き税額控除が定義されておらず、控除額(あるいは額の計算方法)や「一定以上の所得」等も示されていないため、これだけでは実行不可能な法案となっています。民進党提案のため可決されることはありませんが、(財務省などの協力なしで)民進党だけでは実行可能性のあるより具体的な制度案を作成することが難しいということでしょうか。

3.4 安倍政権下での政府税制調査会

3.4.1 政府税制調査会における検討

 自民党では、具体的な制度設計については議論された痕跡はなく、実際の検討は、政府税制調査会(政府税調)、特に基礎問題小委員会で検討されています*6。安倍政権下での「働き方の選択に対して中立的な税制・社会保障制度」の改革のために、この基礎問題小委員会は、2014年4月14日に設置されました*7。政府税調の成果(及び他の社会保障制度改革)は、2016年6月2日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2016」の中に次のような形で反映されています。

(3)就業を希望する女性・高齢者の就業促進、非正規雇用労働者の待遇改善等
(略)
 女性が働きやすい税制・社会保障制度・配偶者手当等への見直しについては、働きたい人が働きやすい環境整備の実現に向けた具体的検討を進める。税制については、政府税制調査会が取りまとめたこれまでの論点整理※1を踏まえ、幅広く丁寧な国民的議論を進める。社会保障制度については、年金機能強化法による本年10 月からの大企業における被用者保険の適用拡大に加え、中小企業にも適用拡大の途を開くための制度的措置を講ずるとともに、施行状況、就労実態や企業への影響等を勘案して、更なる適用拡大に向けた検討を着実に進める。その際、就業調整を防ぎ、被用者保険の適用拡大を円滑に進める観点から、短時間労働者の賃金引上げや本人の希望を踏まえて働く時間を延ばすことを通じて、人材確保を図る事業主を支援するキャリアアップ助成金が十分に活用されるよう周知徹底するとともに、人手不足の状況などを注視し、必要に応じて充実・強化する。国家公務員の配偶者に係る扶養手当については、人事院に対し検討を要請しており、その検討結果を踏まえ、速やかに対処する。民間企業における配偶者手当についても、厚生労働省において取りまとめた「配偶者手当の在り方の検討に関し考慮すべき事項」※2について広く周知を図り、労使に対しその在り方の検討を促していく。
※1:「働き方の選択に対して中立的な税制の構築をはじめとする個人所得課税改革に関する論点整理(第一次レポート)」(平成26年11月7日政府税制調査会取りまとめ)及び「経済社会の構造変化を踏まえた税制のあり方に関する論点整理」(平成27年11月13日政府税制調査会取りまとめ)
※2:「配偶者手当の在り方の検討に関し考慮すべき事項」(平成28年5月9日付基発0509第1号)
出典:内閣府, 「経済財政運営と改革の基本方針2016 ~600兆円経済への道筋~」, 2016/6/2. PDF

 ここで、引用されている政府税調の二つの報告書が、現在公表されている諮問に対する報告書となっており、最新の報告書は「経済社会の構造変化を踏まえた税制のあり方に関する中間報告」として、2016年11月14日に発行されています。

 この中間報告書では、本来は二重控除問題の解消や配偶者控除に変わる新たな控除制度について政府税調で検討された議論に基づき、選択肢(A案~C案)が提示されるべきものと思われます。しかしながら、これまでの政府税調では全くと言ってよいほど議論されていなかった「配偶者控除の収入制限の引き上げ」案が突如として現れます。

 中間報告書発行時点では、既に、与党で収入制限の引き上げで意見調整が行われていたと思いますので、政府税調もそれに歩調を合わせて、中間報告書を作成したのではないかと推測できます。

(前略:筆者注:A~C案問題点の提示)
 なお、前述のとおり、配偶者控除に係る「103万円」という水準が企業の配偶者手当の支給基準として援用されていることなどが就業調整という喫緊の課題の一因ではないかとの指摘に 対応する観点から、配偶者控除について、税収中立の 考え方を踏まえつつ、配偶者の収入制限である「103万円」を引き上げることも一案との意見があった。

 この問題は、家族のあり方や働き方に関する国民の価値観に深く関わる問題でもあることから、国民的議論が十分に尽くされることを望みたい。
出典:税制調査会, 「経済社会の構造変化を踏まえた税制のあり方に関する中間報告」, 2016/11/14.

 このように、これまで議論してきた選択肢に課題があることを上げた上で、ほとんど議論されていなかった「配偶者控除の収入の引き上げ」についての記述が肯定的に加えられ、国民の議論に付すという形で締めくくられています。

 税調で議論された選択肢については後述しますが、働き方に中立な税制案である選択肢B-2は、それまでの税調議論では議論されていなかった実施の困難性が挙げられて、課題があるとされています。

 他方、個人単位課税を基本とする我が国の所得税制において世帯単位で税負担を捉える考え方を導入することをどう考えるか、多数の納税者について控除の移転が行われると考えられる中で配偶者の所得を適時・ 正確に把握して納税者本人に課税を行うことは実務上困難である、といった課題がある。

 しかしながら、実務上困難であるとしている理由が不明です。現状でも、夫婦が誰であるかという名寄せ(世帯統合)はできていると思います。不足している情報は、移転分の控除額だけでしょうか。例えば、一旦、夫婦両方の年末調整(必要に応じて確定申告)を行った後、税務当局により、名寄せ(世帯統合)を行い、移転分の控除額を確定させ、還付させます。いまでも、確定申告により、還付や追加の税支払を行っていますので、容易に実現できるでしょう。特にマイナンバーを活用すれば、効率的に実務が行えます。

 また、世帯単位の税負担を否定するのであれば、既に実施されている配偶者控除も世帯を前提とする世帯単位の概念を含んだ課税体系なので、否定する根拠としては弱いです。配偶者控除の適用範囲の拡大という結論を導くための理由付け以上の意味はないのではないかと思います。

3.4.2 政府税制調査会が中間報告で提示した選択肢

 政府税調で提示された案は、以下の資料で提示されています。

 図3.1にそれぞれの選択肢の概要を示します。

 選択肢Aは、配偶者控除を廃止・制限し、子育て支援を拡充する案です。そのうち選択肢A-1は、配偶者控除を完全に廃止、選択肢A-2は、高所得世帯に限定して廃止するものです。選択肢A-1では、これまで配偶者控除を受けていた世帯の負担が大幅に増加しますが、働き方には中立的です。選択肢A-2では配偶者控除の適用に世帯所得制限をかけますが、所得制限が掛からない大部分の世帯にとっては、働き方に中立的でない制度として残ります。

 選択肢Bは移転的基礎控除を導入し、二重控除問題を解消する案です。選択肢B-1は現行と同じ所得控除として導入する場合と、選択肢B-2は税額控除で導入する場合です。選択肢B-1では、現行で問題となる二重控除を解消しますが、現行制度の働き方に中立的でない制度はそのまま残ってしまいます。選択肢B-2は、税額控除することで、配偶者所得の所得に依存せず、控除額が一定となり、働き方にも中立的な税制度となります。

 選択肢Cは、配偶者控除を廃止し、「夫婦世帯」を対象に新しい制度を作るというものです。仮に図に示すように夫婦控除を所得制限なしに夫婦に与えるものであるとすれば、働き方には中立的です。但し、夫・妻ともに所得制限を掛けない配偶者控除と同じとなり、二重控除を認める制度となります。

 従って、働き方の中立性を保つという観点では、選択肢A-1と選択肢B-2、選択肢Cの三つが、選択肢として残ります。さらに、二重控除を解消するのであれば、選択肢Cは二重控除を認める制度であるため、選択肢A-1と選択肢B-2が残ります。


  • 選択肢A:配偶者控除の廃止・制限し、増税分を子育て支援を拡充する。
    • 選択肢A-1:配偶者控除の廃止する。
    • 選択肢A-2:配偶者控除に所得制限を設ける。
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選択肢A-1
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選択肢A-2

  • 選択肢B:移転的基礎控除の導入を導入し、二重控除問題を解消する。
    • 選択肢B-1:控除できない配偶者の基礎控除を、世帯主に移転する。
    • 選択肢B-2:税額控除のもとで、移転的基礎控除を導入する。
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選択肢B-1
二重控除は解消されるが、配偶者収入の増加こ伴い控除が減額され、働き方に中立的でない問題は解消されない。また、二重控除の恩恵を受けていた世帯が増税となる。

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選択肢B-2
基礎控除を税額控除化。配偶者収入によらず控除額が一定となり、働き方に中立となる。

  • 選択肢C:配偶者控除を廃止し、「夫婦世帯控除」を作る。
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選択肢C
夫婦世帯控除の詳細なし。仮に図の点線のように単純に夫婦控除を世帯主・配偶者の年収に依存せず控除枠を設定するのであれば、配偶者控除の年収制限を撤廃することと等しい(適用対象が大幅に拡大するので、配偶者控除の控除額は減額する必要がある)。
図3.1 政府税調の中間報告における選択肢。

3.5 まとめ

 自民党・民進党・政府税調などの税制の見直し案について調べました。

  • 民主党・民進党では、基本的には給付付き税額控除をこれまで提案し、法案も提出しています。
  • 安倍政権の「働き方に中立な税制」を検討するために、政府税調にて制度案が検討されました。
  • 自民党は、あまり議論されてこなった様子です。

 今回の配偶者控除の適用範囲の拡大という税制改正案はは、政府税調の議論とは特に関係なく、自民党と公明党の短期間の話し合いで決定されました。

 残念ながら、長期的展望に立った税制改革には程遠く、衆院解散・総選挙が噂される中での選挙対策案のように見えてしまいます。

(2016/12/8)

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